アスリートストーリー

「ずっとこれが聞きたかったんです。諦めずに水泳を続けてきてよかった……」
8年前、銀メダルを獲得したアテネ大会の表彰式で「次こそは」と誓った金メダルを獲得し、国歌を聞きながら、秋山里奈はしみじみとここまでの道のりを思い起こしていた。
「ロンドンに入ってから体に力が入ってしまって、一昨日も昨日も、そして今日の予選もボロボロだったので、すごく苦しかったんです。それでも、金メダルを一番欲しがっている自分こそが獲れるんだ、と信じていたので、最後まで『絶対に金メダルを獲る』という目標だけはブレることはなかったです」
自らを信じ切る――簡単そうに見えて、決して容易にできるものではない。秋山のアスリートとしての真の実力を見たような気がした。
2012年9月2日、ロンドンパラリンピック。視覚障害女子100メートル背泳ぎ決勝に出場した秋山は、前半から飛ばし、スタートからリードを奪った。そのまま最後までトップの座を明け渡すことなく、1着でゴール。その結果をコーチから知らされると、秋山は喜びを体で爆発させ、何度も何度もジャンプした。それは数時間前の彼女からは、想像すらできない姿だった――。
ブレなかった金メダルへの思い
「楽しむなんて、とてもそんなところではありません・・・・・・」
この日の午前に行われた予選で、秋山は全体の3着にとどまった。タイムは1分22秒47。トップとは1秒58の差をあけられた。決勝を考えての余力を残してのことではない。精一杯泳いでの結果である。ミックスゾーンで記者の質問に答える秋山の笑顔は明らかに無理をしていた。
「初日の100メートル自由形でフライングで失格になったことを引きずっているのではないか……」
日本人記者からはそんな声が多く聞かれた。
しかし、インタビューの最後に彼女は自らの気持ちを引き締めるかのように、こう答えていた。
「自分はできると自信をもって決勝のスタート台に立ちたい」
その言葉通り、彼女は気持ちをしっかりと切り替えてきた。予選から約8時間後に行なわれた決勝レースで、秋山は大きく手を振りながらプールサイドに現れると、スタンドからの声援にも応える余裕を見せた。さらにスタートを待つ間、ほかの選手がほとんど動かない中、秋山だけは両腕をぐるぐると回し、太股を何度も叩くなど、入念に体をほぐしていた。体と同時に、気持ちにも気合を注入していたのかもしれない。
「8年間、この日のために頑張ってきたんだから、ネガティブなことを思ってもダメだなと思ったので、いくだけいこうという気持ちで泳ぎました」
50メートルのターン後、秋山は左側に曲がってしまい、左手をコースロープに強く当てた。0.01秒を争うレースでのこのミスは、大きな時間のロスとなる。それでも秋山は、あわてることはなかった。
「一瞬、『あ、やっちゃった』と思いましたけど、もうこの1回だけにしようと。ここで気持ちが折れてはダメだと思って、頑張りました」
7月のジャパンパラで世界新記録となる1分18秒59をマークした秋山は、ロンドンでは17秒台を狙っていた。「世界新記録で金メダル」。これが彼女にとって究極の目標だった。結果は1分19秒50。記録には納得していないが、最後には「金メダルが獲れたから、いいです」と笑顔を見せた。そこには苦節8年の思いがあった。
アテネの表彰台で4年後の金メダルを誓った秋山だが、人数不足という理由で、北京では背泳ぎでの出場すらかなわなかった。さらに2010年に世界記録をマークして以降、約2年間は自己ベストを更新することができなかった。ようやく今年7月に再び世界記録保持者となったものの、ロンドンに入ってからは気負いが生じたのか、自分の泳ぎができずに苦しみ、涙を見せたこともあった。
しかし、秋山は決して諦めなかった。プレッシャーがかかるとわかっていながら、あえて「金メダル」を口にし続けてきた。それが今、現実のものとなったのだ。まさに「有言実行」の金メダルである。秋山にとって真の世界チャンピオンとは「パラリンピックで勝ってこそ」だった。だからこそ、どうしても手にしたかったのだ。秋山里奈、24歳。誰もが認める世界チャンピオンの誕生である。
(文・斎藤寿子、写真・竹見脩吾)