サイドストーリー

vol.8 “ラグ車”に魅せられて―縁の下の支え ~ウィルチェアーラグビー~

格闘技さながらの激しさとスピーディなプレー。それこそがウィルチェアーラグビーの最大の魅力だ。一度、それを体感すると、この競技の虜となる者は少なくない。特に車椅子同士が衝突した時の重厚な音は、観る者の興奮を助長させる。思わず目をつぶってしまうほどの凄まじさこそが、コンタクトプレーが許されているこの競技ならではの見どころだ。そのプレーにとどまらず、ウィルチェアーラグビーの車椅子、通称“ラグ車”にはまった男がいる。2007年から日本代表チームのメカニックを担当している三山慧、26歳だ。ウィルチェアーラグビーとの出合いが、彼の人生の転機となった。

三山がウィルチェアーラグビーと関わるようになったのは、ある人物との出会いがきっかけだった。現在、日本代表候補の官野一彦だ。05年、大学1年の時、三山はバイクで転倒し、足を骨折して入院した。三山と同じ病院に頚椎損傷を患い入院していたのが、官野だった。当時、官野の目標は「退院後、車椅子バスケットボールを始めて、1年後にはテレビに出演すること」だった。それを聞いた三山は、官野のポジティブさに感銘したという。
「まだ頚損になったばかりの頃ですよ。普通だったら、まだ自分の障害を受け入れられないと思うんです。それなのに、官野くんは『車椅子バスケでテレビ出演して、ゆくゆくは日本代表としてパラリンピックに出場する』って言うんですからね。なんて気持ちが強い人なんだろう、と思いましたよ」

退院後、間もなくして三山は、官野がウィルチェアーラグビーを始めたことを知った。
「車椅子でラグビーって、どうやってやるんだろう、と興味がわいたので、官野くんのチームの練習を見学に行ったんです。そしたら、みんなガンガンぶつかっているでしょ。『うわっ、 すごいな!』と、その激しさに驚きましたよ。それに、車椅子でラグビーをやるという発想自体が面白いなと思ったんです」

ウィルチェアーラグビーに興味を抱いた三山は、すぐにチームのスタッフとして活動し始めた。すると、見ているうちに激しいプレーを支えている傷だらけの車椅子が気になりだした。元々、車やバイクの構造を見たり、部品をいじるのが好きだった三山は、陸上や車椅子バスケットボールといった他の車椅子競技とは一味もふた味も違う“ラグ車”に興味深々だった。はじめはチームのメカニック担当にいろいろと構造やメンテナンスの方法などを教えてもらっていたが、すぐにそれだけでは物足りなくなった。「一から自分で作ってみたい」という気持ちが沸々とわいてきていた――。

07年からは日本代表のスタッフとしても活動し始めた。当時の代表チームにはメカニック担当はいなかった。そのため、タイヤのパンク以外はその場で修理することができず、修理工場にまで運ばなければならなかった。その状況を知っていた三山は自らがメカニック担当になることを決意した。彼の気持ちを突き動かしたのは、アジア・オセアニアゾーン選手権で日本チームのメカニックを担当したニュージーランドの車椅子メーカー「メルローズ」のマイク・ターナー氏の姿だった。
「試合中、選手の車椅子の部品が割れるというアクシデントがあったのですが、ターナー氏は素早く修理して、選手をコートに返したんです。その姿を見て、かっこいいなと。自分も、ああいうふうになりたいと思ったんです」

帰国後、三山は日本ウィルチェアーラグビー連盟の承諾を得て、日本代表のメカニックとなった。さらにアルバイト先を、それまでの介護ヘルパーから車椅子の工場へと替え、車椅子づくりの基礎を学び始めた。そして、さらなる高みを目指し、08年の北京パラリンピック後、三山は単身ニュージーランドへと渡った。前年のゾーン選手権でターナー氏と交換した名刺に書かれたメールアドレスに、工場で働きたい旨を送ったのだ。翌年の4月にはアルバイト先の工場に就職することが決まっていた大学生の三山に与えられた修業期間は、わずか半年間だった。それでも本場の技師たちとともに過ごしたその半年間は、三山の大きな財産となっており、今、非常に役立っている。

“流れを切らない”が最重要

ウィルチェアーラグビーの選手にとって、“ラグ車”は体の一部である。各選手の体格や障害に合わせてオーダーメイドでつくられているため、2台として同じものはない。タイヤやキャスターの高さは1ミリ単位で調整されるなど、精密にセッティングされているのだ。その“ラグ車”に異変が生じれば、当然、選手のパフォーマンスにも影響が出る。つまり、“ラグ車”の状態は試合の勝敗をも左右する重要な要素となり得るのだ。それだけメンテナンスを一任されているメカニックには大きな責任が伴っている。

その一方で、やりがいもまた、そこにはある。選手たちは“ラグ車”ごと体当たりするため、タイヤのパンクは日常茶飯事だ。だが、タイヤ交換だけなら、ワンタッチで修理できる。問題はその他の故障である。車椅子にアクシデントがあった場合、試合を止めた状態で修理に与えられる時間はわずか1分。その間に修理を施すことができなければ、選手交代を余儀なくされる。その交代が試合の流れを変えてしまうことも少なくないのだ。そのため、メカニックが1分間で修理を終わらせることができるか否かは、非常に重要である。しかし、それは大半の場合、至難の業と言ってもいい。

その至難の業をやってのけた快感を、三山はこれまで一度だけ経験したことがある。08年の北京パラリンピックの予選で主力の一人である仲里進のキャスターが、相手アタックの衝撃で割れてしまうアクシデントが起こったのだ。仲里をベンチに下げてしまえば、試合の流れが変わる。三山はプレッシャーの中、キャスターの修理にとりかかった。キャスターの取り外しは、1分間という短い時間ではなかなかできるものではない。だが、三山はギリギリで間に合わせてみせたのである。再びコートに戻った仲里は、ポイントゲッターとしてチームに大きく貢献した。その姿を見ながら、三山は心の中でガッツポーズをした。

「僕は細かい戦術のことはわかりません。でも、試合には流れがあるんです。日本に勢いがある時は、それを止めないようにすることが非常に重要です。ですから、たとえ“ラグ車”が故障しても、僕が素早く対応することで、まるで何事もなかったかのように選手を送り出す。それが僕にできる最大の役割であり、そしてそれこそがメカニックとしての腕の見せ所なんです」

そして、こう続けた。
「日本は今、世界ランキング3位。ロンドンではメダルを獲って欲しいというよりも、絶対に獲れると信じています。そのためには、普段通りのパフォーマンスを出すことが重要なわけですが、『車椅子の故障で満足のいくプレーができなかった』ということがないように、しっかりとメカニックとしての仕事を果たしたいと思っています。車椅子の不具合さえ出ないようにすれば、メダルは獲れるはずですから」

合宿では選手たちが昼食に行った後のガランとした体育館で一人、黙々と作業する三山の姿があった。実は選手たちがいないこの時間にこそ、割れたところがないか、ヒビは入っていないかなど、“ラグ車”の細かいチェックができるのだ。聞けば、大会時には試合後、チームがホテルに帰った後も会場に残り、修理をするのだという。
「他のチームのメカニックも、みんなそうですよ。それが僕たちの仕事ですから」
そう答える三山の表情は実に清々しいものだった。彼らのような“縁の下の支え”がいるからこそ、選手たちは輝きを放つことができるのだ。

「三山をはじめ、うちのスタッフは全員、仲間意識が強いし、ウィルチェアーラグビーに対して熱いハートがあります。彼らの思いや働きがあるからこそ、自分たちがプレーできていることを選手たちも自覚している。こうした絆が、日本チームの強さにつながっているんです」
そう語る岩渕典仁ヘッドコーチの言葉には、チームへの信頼感と自信が満ち溢れていた。ロンドンまで、あと半年。チーム全員で世界の頂を目指す。

(文・斎藤寿子)