編集長コラム
障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ
2011.06.01 [伊藤数子「障がい者スポーツの現場から」]
第8回 競技大会としてのあるべき姿 ~大分陸上2011~
いよいよロンドンオリンピック・パラリンピックまで約1年。先日は卓球で代表選手が決定するなど、スポーツ界は徐々に"ロンドンモード"に突入していますね。障害者スポーツ界でもパラリンピックを目指すアスリートたちがロンドンの切符を獲得するため、国内外の大会に出場しています。そこで今回は、14、15日に開催されたIPC(国際パラリンピック委員会)公認の「新日本製薬大分陸上2011」(大分市営陸上競技場)へ行ってきました。そこで私が見たのは、真のスポーツ大会を目指す大会運営者の強い思いでした。
「手づくり感のあるいい大会」
大分陸上については、以前からそんなふうに周囲から聞いていました。この「手づくり」という言葉から、正直、私は「みんなで協力し合い、アットホームな心温まる大会」というようなイメージを持っていたのですが、実際に足を運んでみると、そうではありませんでした。大会の趣旨が明確で、それを実現させるために地域や企業の協力を得ながら奔走している。つまり目的のために必要なことを自分たちでやっている。それが「手づくり」という言葉の意味だったのです。
大分陸上は2005年に一人の選手とそれに賛同した友人の2人でつくりあげた大会です。大会というと、連盟や協会、自治体などが主催するものだとばかり思っていた私は、まずそのこと自体に驚きました。その選手とは車椅子ランナーの廣道純選手。パラリンピックではシドニー大会800メートルで銀メダル、アテネ大会800メートルで銅メダルを獲得し、現在も400、800、5000メートルの3部門で日本記録をもっているトップアスリートです。廣道選手は5年前に大分陸上を始めた理由を、こう語ってくれました。
「実はそれまでも国内で行なわれていたパラリンピックの選考レースは4大会あったのですが、全て車椅子ではタイムが出にくい重いトラックで行なわれていたんです。ですから、パラリンピックに出場するためのA標準記録を出すには、海外のレースに出場しなければなりませんでした。しかし、これからパラリンピックを目指そうというような若い選手はお金がなかったり、仕事を休めなかったりと、なかなか海外に行くことができません。そうすると、パラリンピックを諦めるしかないわけですよね。それでは不公平だなと思ったんです。それで、日本でも記録を出せる大会をつくろうと思ったのがきっかけでした」
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