編集長コラム
障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ
2012.11.07 [伊藤数子「障がい者スポーツの現場から」]
第25回 すべての人が好きなスポーツを継続してできる社会へ
今夏、ロンドンオリンピック・パラリンピックが開催されました。だいぶ時間が経ちましたが、読者の皆さんは、どんな場面を覚えているでしょうか。では、そのたくさんの感動シーンの中に、どれほどパラリンピックのシーンがあるでしょうか。「あれ?そういえばあんまりないなあ」と思う方はたくさんいることでしょう。そうなんです。パラリンピックは、その情報がまだまだ多くの人に届く機会が少ないのです。
昨年、スポーツ基本法が施行されました。私見を述べれば、これはとても良い法律だと思っています。その基本理念には「スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない」と掲げられています。また、すべての国民は、「日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない」ともあります。世界共通の文化であるスポーツを、すべての人がする社会にしていこうというものなのです。
先月、『挑戦者たち』の「二宮清純の視点」ではロンドンパラリンピックで団体競技初の金メダルに輝いたゴールボール女子のキャプテン小宮正江選手と司令塔の浦田理恵選手との対談が掲載されました。ゴールボールはもともと戦争で視覚に障害を受けた傷痍軍人のためのリハビリテーションプログラムのひとつとして考案されたものです。それが徐々に競技化されていき、男子は1976年のトロント大会からパラリンピックの競技として採用されました。女子は2004年アテネ大会からです。
小宮選手と浦田選手の視力は「網膜色素変性症」という病気によって悪化しました。現在は二人ともほぼ全盲です。浦田選手は20歳を過ぎたころから急激に視力が落ちました。友人にもご両親にも話すことができず、怖くて病院に行くことさえできずにいたそうです。そして、一人暮らしのアパートに1年半も引きこもってしまいました。その浦田選手は今、「ゴールボールのおかげで人間を磨かせてもらっている」と言います。「自己主張するだけではこの競技は勝つことはできません。周りをよく見て察し、相手の気持ちになるなど、生きていくうえで大切なことを教えてもらいました」とも言っています。
また、「視力が衰えて、だんだん見えなくなっていくけれど、逆に視野が広くなっていくんです」とは、小宮選手の言葉です。彼女は少しずつ見えなくなっていく恐怖の中でゴールボールに出合い、世界一を目指すようになると、その恐怖のことを忘れたのだそうです。視力を失うという想像を絶する恐怖を忘れさせてくれるほど夢中になれるスポーツ。2人には、スポーツには計り知れない力があることを教えてくれました。
以前にこのコーナーで、ボッチャについてご紹介したことがあります。現在高校3年生の奈良淳平選手は脳性まひという障害があります。彼はボッチャで次のリオパラリンピックを目指しています。2011年には最も重い障害のクラスで日本チャンピオンに輝いた実績をもつ奈良選手はこう言います。
「ボッチャに出合うまでは自分はスポーツとは縁がないと思っていました。スポーツはただ見るだけのもの、と。でも今は違います。僕はスポーツをやっているんです。そしてその楽しさがわかりました。喜びを感じています」
ボッチャは、奈良少年にとってスポーツを、「見る」だけのカテゴリーから、「する」カテゴリーに変えてくれたのです。
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