編集長コラム

障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ

第42回 ソチで見つけた日本の"ホーム"

写真:ソチパラリンピックのレース後、現地に駆け付けた応援団とリラックスした表情で話す新田選手<左> 3月7日に開会式が行なわれ、9日間にわたって熱戦が繰り広げられたソチパラリンピックが、16日に幕を閉じました。冬季大会史上最多となる45カ国・地域から約550名のアスリートたちが集結した今大会、日本選手団はメダル総数6個、海外開催の冬季大会としては史上最多タイの金メダル3つを獲得しました。また、10代の若手選手のハツラツとした姿も多く見受けられ、日本選手団として得られたものは数多くありました。
 私も大会期間中、ソチの会場に行ってきました。そこで改めて感じたのは、選手たちの活躍は支えあってのものだということです。
(写真:ソチパラリンピックのレース後、現地に駆け付けた応援団とリラックスした表情で話す新田選手<左>)

 私がまず現地で訪れたのは、クロスカントリーとバイアスロンの会場「ラウラ・クロスカントリースキーアンドバイアスロン・センター」です。最寄りの駅からゴンドラを乗り継いで会場に到着。ゴール地点のホームストレートのところに設けられた観客スタンドに向かいました。すると、真っ先に目に飛び込んできたのはオレンジ色の団体。それは日立ソリューションズスキー部後援会の社員や、選手の地元からそれぞれ駆け付けた人々で構成された日本応援団でした。オレンジ色の半被を着用し、数人は頭にちょんまげのカツラまでかぶっていたのです。周囲の外国人は雪山に現れた「サムライ」に目を輝かし、引っ切り無しに写真のリクエストをしていました。

 もちろん選手たちにとって、応援団が大きな力となったことは言うまでもありません。なぜなら、応援団は彼らの"ホーム"だからです。私が強くそう感じた場面は2度ありました。1度目は、競技終了後です。その日はクロスカントリーの20キロクラシカルが行なわれました。立位カテゴリーに出場した新田佳浩選手は、2つの金メダルを獲得したバンクーバーに続くメダル獲得が期待されていました。しかし、惜しくも4位という結果でした。


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伊藤 数子(いとう かずこ)

挑戦者たち編集長
/NPO法人STAND代表理事

新潟県生まれ。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツの振興に携わるようになる。未来に向けて次代の選手・ファンを拡げていくために、障害者スポーツのスポーツとしてのおもしろさを伝えるウェブサイト「挑戦者たち」、障害者スポーツ競技大会のインターネットライブ中継「モバチュウ」、障害者スポーツ体験会などの事業を企業・団体と協働で展開している。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手たちの挑戦を伝えるウェブサイト「The Road to London」を開幕1年前に開設した。著書に「ようこそ、障害者スポーツへ -パラリンピックを目指すアスリートたち-」(廣済堂出版)など。

ロンドン2012パラリンピック 日本選手たちの挑戦 「The Road to London」

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