編集長コラム
障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ
2017.07.05 [伊藤数子「パラスポーツの現場から」]
第81回 53年前の「東京パラリンピック」がくれた宝物
2020東京五輪・パラリンピック開催まで3年となりました。今ではパラリンピックという言葉も浸透してきましたが、53年前の1964年、東京オリンピックと同じ年にパラリンピックが行われていたことはご存知でしょうか? 当時は障がいのある人がスポーツをすることは考えられない時代でした。そんな中、パラリンピックが開催されたのです。53年前にパラリンピックに出場した方やボランティアとして参加した方にお話をうかがったことがあります。
東京パラリンピックが幕を開けたのは64年11月8日のことでした。22カ国372選手が参加、うち日本選手は53名。脊髄損傷で車いすを使用している人が参加する大会で、9競技が行われました。
当時は脊髄を損傷すれば寝たきりになるのは仕方のないこととも思われていました。日本人選手の中で働いていたのは自営業の数名で、その他の選手は全員が病院や施設で暮らしていました。というよりも、そうするしかないような状況で、「短い命の終わりを不安な中でじっと待っていただけ」だったといいます。障がいがあるからベッドで寝たきりで、褥瘡(じょくそう)や泌尿器科系の病気などが原因で若くして亡くなる方も少なくありませんでした。しかし、短命の本当の理由は病気や障がいではなく、ほとんどが生きる希望を持てないことだったそうです。
さて、64年のこと。入院していたある男性患者さんは「医師から突然告げられた」と言います。
「あなたは下半身が動かない。でも他に悪いところは何もない。今度、パラリンピックという大会があるからそれに出場してください」
「パラリンピック?」と、初めて聞く単語に何が何だかわからず不安なまま、他の患者さんと一緒に病院を出発、選手村へ。部屋のベッドに寝かされ、介助をしてもらっていました。試合の出番がくると介助の人が会場へ連れていってくれて、競技が終わると再びベッドへ寝かせてくれました。
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