編集長コラム
障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ
2018.03.01 [伊藤数子「パラスポーツの現場から」]
第89回 平昌パラリンピック、観戦しながら思い起こしてほしいこと
平昌オリンピックが閉幕し、次はパラリンピックが始まります。私がパラリンピックに注目したのは2008年の北京からでした。当時から現在まで、パラリンピックやパラアスリートに対する人々の捉え方や感じ方は大きく変化してきました。
08年、パラリンピックは世界的に「超エリートスポーツ」と言われる時代に入りました。それまでのリハビリスポーツ、競技スポーツを経て、オリンピックのように競技性の極めて高いスポーツとして位置づけられたのです。同時にこのころから、パラリンピックやパラスポーツはテレビや新聞に取り上げられる機会が増えました。
その関心の多くは、スポーツの側面より、人物にありました。パラアスリートの人生に焦点を当て、彼らの様々なストーリーを追う視点が多かったのです。事故に遭う、絶望する......。家族や周囲の人、新しい出会いなどがある。そうした出来事を伝えていました。これらのストーリーは、障がいのある人への誤解や偏見を融かしていくのに、大いに効果がありました。
当時、私はパラアスリートの記事や書籍を多く集め、一人ひとりが「障がい」に対して違う考え方を持っていることを知りました。例えば、ひとからげに「障がいを乗り越える」という言葉はまったく当てはまらないことを知らされました。
乗り越えた人もいれば、乗り越えることはないと思っている人もいました。また乗り越えたくない、乗り越えるつもりはないという人もいたし、乗り越えられない、乗り越えるとはどういうことかわからないなど。ひとりずつ、みんな違うのです。
この時期にこうしたことを教えられたことで、私自身の考え方も大きく変わりました。このころを第1の時代だったとしましょう。
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