編集長コラム
障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ
2022.01.04 [伊藤数子「パラスポーツの現場から」]
第135回 トーチを背負って、どこまでも。
コロナ禍の21年、思い出の一つに5月に金沢で参加した東京オリンピックの聖火リレーがあります。関係者の皆様、本当にありがとうございました。詳しくはこちらを御覧ください。
このときのトーチは、現在、私の手元にあります。「ぴったり入るよ」と友人が譲ってくれた楽器用のケースに入れ、いろんなところに持ち歩いています。
おもむろにケースを開け、「じゃ~ん」と取り出すと、ほとんどの方が「わ~っ!せっかくなんで、記念に」と、トーチを持って思い思いのポーズで写真を撮ってくださいます。そして「これ、SNSに載せていいですか?」「友人に送ろう」「家族に見せよう」と、盛り上がってくれます。ガスが入ってないトーチでも重量1キロとちょっと重いのですが、そうやって話の種にしてもらえるのを見ると、持ってきて良かったと毎回思います。
私が本格的にパラスポーツに関わったのは、2003年、初めて電動車いすサッカーのネット生中継を実施したときです。当時、障害のある人がスポーツをすることを知っている人はわずかだったことでしょう。
中継の現場で、「障害者をさらし者にして、どうするつもりだ」というご批判をいただきました。ちょうどその年、石川県出身の松井秀喜選手が海を渡り、ヤンキースのユニフォームに袖を通しました。石川県在住だった私は早朝、衛星放送を見ていましたが「ゴジラを世界中にさらし者にしている!」と言う人は誰もいませんでした。当たり前です。でも、同じスポーツをする人間が車いすに乗っていると...。
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