二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.03.05
"挑戦者たち"への取材にあたって
パラリンピックの現場を取材していて、選手たちから「同じスポーツなのに自分たちの結果は新聞の社会面で紹介されるが、オリンピックの選手たちはスポーツ面。自分たちのやっていることをきちんとスポーツとしてとらえて欲しい」という少なくない数の声を聞いた。
確かにパラリンピックに関する報道は「勇気を与えてくれてありがとう」「感動をありがとう」というものがほとんどで、競技のおもしろさや、アスリートとしての素晴らしさ、あるいは明暗を分けた戦略や戦術、技術について言及されることは極めて少ない。
彼らは立派なアスリートである。勝利を目指して戦い、その過程で自らの成長を実感する。そこに健常者との違いは見出せない。「感動をありがとう」と言われて嬉しくなくはないだろうが、それは結果としてついてくるものであって、最初からそれを目指しているものではない。
そもそも障害者スポーツと健常者スポーツを分けて考えること自体がおかしい。誰がやってもスポーツはスポーツなのだが、この国には大きな壁が存在する。それはオリンピックの所轄官庁が文部科学省であるのに対し、パラリンピックが厚生労働省であることでも明らかだ。スポーツは人類が生み出したかけがえのない文化である。パラリンピックとその周辺の競技を知れば、スポーツはもっとおもしろくなる。