二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.04.16
第2回「アイススレッジホッケーとの出合い」
~氷上の格闘技に魅せられて~(2/4)
二宮: 今では日本のアイススレッジホッケー界のエースとして活躍されていますが、実は遠藤さんはもともとは吹奏楽でサックスを吹いていたとか?
遠藤: はい、そうなんです(笑)。中学から大学までアルトサックスに夢中になっていました。高校時代は音大に行きたいとさえ思っていたくらいで、スポーツをやりたいという気持ちは全くなかったんです。
二宮: それが、なぜアイススレッジホッケーをやるようになったのでしょうか? 日本が初めて参加した長野パラリンピックを見て刺激を受けたとか?
遠藤: いえ、僕は長野パラリンピックを見ていないんです。でも、その長野パラリンピックにボランティアで参加した方が同じ大学にいたんですね。その方に「やってみない?」と声をかけられたのがきっかけでした。選手の連絡先を教えてもらったのですが、当時の僕は吹奏楽が楽しかったので、連絡しようという気持ちがなかなか起きなかったんです。
二宮: それまでアイススレッジホッケーは見たことがかなかったと?
遠藤: はい(笑)。正直、興味はありませんでした。
やる気に火をつけた初合宿
二宮: そんな遠藤選手がアイススレッジホッケーをやろうと思ったきっかけは?
遠藤: せっかく連絡先をいただいたことだし、放っておくわけにはいかないと思って、2カ月後くらいに連絡してみたんです。そうしたら、いつ、どこで練習をやっているから、と言われて......。それで1度くらいは見てみようかと思って行ったんです。当然、僕としては見学だけのつもりだったのですが、既に道具が用意されていて「やってみなよ」と。断れないので「あ、じゃあ、すみません」なんて言ってやらせてもらったんですけど、着替えもないのに、もう汗びっしょり。でも、みんなおだてるもんだから、僕もその気になっちゃって......。今思えば、それが手だったんでしょうね(笑)。
二宮: まんまと丸め込まれたと(笑)。
遠藤: はい。道具も持って帰っていいからなんて言われて(笑)。
二宮: でも、氷の上での動きは難しかったでしょう?
遠藤: 今でこそスレッジの刃の幅は狭くなっているのですが、当時はもっと幅が広い刃を使っていたんです。ですから、真っすぐ走るくらいはすぐにできました。
二宮: アイススレッジホッケーは激しい接触プレーがありますが、突き飛ばされたり、ケガをしたことは?
遠藤: いえ、意外と大丈夫でしたよ。子供の頃から階段とかも平気で両手で上っていたりしたので、体もそれなりに鍛えられていたようなんです。
二宮: とはいっても、スティックなんかは持ったことがなかったわけでしょ? すぐに慣れましたか?
遠藤: やはり使いこなすにはそれなりに時間がかかりましたね。
二宮: アイススレッジホッケーの面白味がわかりかけてきたのは......。
遠藤: やっぱりすぐには面白いとは思いませんでしたね。でも、始めてまだ1、2カ月の時に長野での合宿に誘われたんです。行ってみたら、ビデオで借りて見た長野パラリンピックで活躍している選手たちが、あっちにもこっちにもいたんです。「うわぁ、こんな日本代表の人たちと直に話すことができるなんて......」って感激したことを覚えています。
でも、練習では結構厳しいことを言われましたよ。僕としては一生懸命やっているのに、「もっとマジメに走れ」とかって......。まだ始めたばかりだというのに。悔しかったですね。それからですよ、本格的にトレーニングをするようになったのは。
二宮: 辛くて辞めようと思ったりはしなかった?
遠藤: きついことはきつかったですね。練習は厳しいし、金銭的な問題もありましたから。長野の合宿から3、4カ月後にはスウェーデンへ遠征に行ったんです。僕も「試合には出られないけど、見に来い」って言われたんですけど、当時はまだ学生でしたし、そんな海外に行くようなお金なんてなかった。でも、「バイトでも何でもして来い!」って。ところが、アルバイト先がなかなか見つからなかったんです。車いすだからっていう理由で断られちゃって。結局、両親に相談をして借りました。
快感に酔いしれた初ゴール
二宮: 初めての遠征はどうでしたか?
遠藤: 試合に出場する予定はなかったのですが、一応道具だけは持って行ったんです。そしたら途中で故障者が出てしまって、急遽、僕も何試合か出してもらうことができたんです。スウェーデン戦ではシュートを決めました。当時、スウェーデンといえば、世界でも有数の強豪チームだったので、試合自体は2-10の大差で負けたのですが、日本の2点のうち1点は僕が入れたんです。
二宮: それは大きな自信になったでしょう?
遠藤: はい。あれは気持ちがよかったし、本当に嬉しかったですね。「あぁ、スポーツって、こういう快感が味わえるんだな」って初めて思えました。アイススレッジホッケーに熱中し始めたのはそれからですね。
二宮: 現在、遠藤さんはディフェンダーですが、当時はフォワードをやっていたんですね。
遠藤: はい。ソルトレークシティー大会まではフォワードをやっていました。その後にディフェンダーに転向したんです。
二宮: それは自分から希望したのですか?
遠藤: はい、自分から監督に申し出ました。でも、監督の方も同じことを考えてくれていたみたいですね。
二宮: ディフェンスの方でスピードを生かしたいと?
遠藤: そうですね。それと、ソルトレークシティー大会でMVPをとった米国代表のシルベスター・フリス(現・ポーランドプレーイングマネジャー)という名ディフェンダーを見て、「ああいうふうに、周りを見ながらプレーできる選手になりたいな」という思いがあったんです。
二宮: フォワードとディフェンダーでは、どんな違いがありますか?
遠藤:フォワードの方が運動量は必要になってくるのかもしれませんが、ディフェンダーは相手のミスを誘うようなプレッシャーをかけて、そのミスからシュートを決めるなんてこともあるんです。結構、おいしいとこどりみたいな感じですよね(笑)。
(第3回へつづく)
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<遠藤隆行(えんどう・たかゆき)プロフィール>
1978年3月19日、埼玉県出身。先天性の両下肢欠損。大学時代にアイススレッジホッケーを始め、2002年ソルトレークシティー大会からパラリンピックに出場。前回のトリノ大会から2大会連続で主将としてチームを牽引した。今大会では開会式で日本選手団の旗手も務めた。世界屈指のスピードをいかしたプレーで、銀メダル獲得に大きく貢献。最も活躍した選手に贈られるファン・ヨンデ功績賞に日本人として初めて表彰された。