二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.05.20
第3回「代表としての終着点はロンドン」
~車椅子バスケの伝道師~(3/4)
二宮: これまでパラリンピックはシドニー、アテネ、北京と3度経験されています。やはり日本がメダルを獲るのは難しいのでしょうか?
京谷: そうですね。国内の障害者スポーツ界では、車椅子バスケットボールといえば、最もポピュラーな競技だと思うんです。だから期待の声も大きい。でも、実際に国際大会に出場すると、他国の強さに圧倒されます。
二宮: 国別にランク付けをすると?
京谷: 今、最強はオーストラリアですね。その次にカナダ、米国。一昔前は米国がダントツに強かったんです。でも、各国の選手が米国の大学などに留学して学んだ技術を、それぞれの国に持ち帰った結果、オーストラリアやカナダが今ではメキメキと強くなってきました。
二宮: 今年の7月にはイギリスのバーミンガムで世界選手権があります。チームの目標は?
京谷: ベスト4です。そして2年後のロンドンパラリンピックでメダルにつなげたい、と考えています。ただ、北京パラリンピック以降、ヘッドコーチもメンバーもかわり、まさにニュージャパンという状態。メンバー12人中、半数以上が大きな国際舞台は今回が初めてなので、その辺はちょっと不安ですけどね。
二宮: ヘッドコーチによって戦術やフォーメーションはかなり違ってくるでしょうね。
京谷: もう、全く異なりますね。北京までは車椅子の特性をうまく利用しつつ、戦術をたてていくという感じだったんです。でも、現在のヘッドコーチは健常者の方の指導者なので、とにかく一般的なランニングバスケットに車椅子バスケットを付け加えるという感じです。
二宮: 対応するには時間がかかりますか?
京谷: はい、そうですね。ただ「このヘッドコーチだったから、自分は選ばれなかった」というのではなく、どんなヘッドコーチでも対応できる選手こそが日本代表なんです。だから自分自身もどんなヘッドコーチになってもやっていけるように、とは思っています。
結果よりも自分自身との勝負
二宮: 京谷さんのシュートの成功率はどのくらいなんですか?
京谷: あまりよくないですね。司令塔なので、役割的にあまりシュートを打つというようなポジションではないんですけど、1試合で4、5本くらい打ちます。その半分以上は入れるようには心がけています。でも、ルールがかわって、スリーポイントのラインが50センチ遠くなったんです。ゴールの高さも一般のバスケットボールと一緒ですから、スリーポイントはちょっと厳しくなりますね。
二宮: むやみに打って、相手にリバウンドをとられたら、それこそピンチになりますからね。
京谷: 特に国際試合では、シュート1本の重みが違うんですよ。向こうの外国人は長身なので、シュートを外したら確実にリバウンドを取られてしまう。日本の選手は、外したらどうしようっていう精神的プレッシャーは少なからず感じている気がします。だから、なかなか1本打つ勇気が出てこないんです。しっかりと自信をもってシュートを打てるようになると、日本ももっと強くなるかなぁと思いますけどね。
二宮: 日本代表では最年長となりました。自分自身で衰えみたいなものを感じることは?
京谷: 衰えというのはまだ感じませんが、やっぱり15年以上も車椅子バスケットをやっていると、痛む箇所が増えてきました。今はヒジと肩と首。毎回、毎回激しいぶつかり合いをするので、ムチ打ちみたいになっていて、首はもう頸椎椎間板ヘルニアになっています。ヒジはネズミ(遊離軟骨)が痛いですし、肩は五十肩みたいになっているんです。
二宮: まさに満身創痍ですね。
京谷: でも、弱音を吐くと、本当に大けがしちゃったほうがいいんじゃないか、と思っちゃうこともあるんですよ。そしたら辞められるのに、って。そういう自分も正直、このくらいの年齢になると、少し出てきているんですよね。でもいつも「いやいや......」って思うんですけど。辞めるタイミングって一番難しいですよね。だから自分の中で今、ロンドンを一つの区切りとして目標に置いているんです。そこに出られるか出られないかではなくて、そこに向かって行けるか行けないかというところで勝負しています。最終的な結果よりも、そこに向かっていく自分と勝負している。そして、ロンドンが第一線としては最終かなと思ってやっています。
(第4回につづく)
<京谷和幸(きょうや・かずゆき)プロフィール>
1971年8月13日、北海道生まれ。小学2年からサッカーを始め、室蘭大谷高校時代にはインターハイ2回、高校選手権3回、国民体育大会3回出場。3年時の選手権では優秀選手に選ばれた。2年時にはユース代表、3年時にはバルセロナオリンピック代表候補にも選ばれるなど、将来を嘱望されていた。高校卒業後、古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)に入団したが、93年に自動車事故で引退。94年から車椅子バスケットボールチームの千葉ホークスに所属し、全国車椅子バスケットボール選手権大会で8度の優勝を経験。日本代表としても活躍し、シドニー、アテネ、北京と3大会連続でパラリンピックに出場した。今年7月に英国・バーミンガムで開催される世界選手権代表にも選出された。
現在は、(株)インテリジェンス(総合人材サービス業)提供の障がい者専門人材サービス事業にて、自身の経験や視点を生かし、企業や個人に向けたアドバイスを行う"障がい者リクルーティングアドバイザー"としても活動している。
(構成・斎藤寿子)