二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.05.27
第4回「障害者スポーツ発展のために」
~車椅子バスケの伝道師~(4/4)
二宮: 将来はヘッドコーチにという気持ちはありますか?
京谷: そうですね。全くそういう気持ちがないわけではないんです。でも、この世界には「オレには車椅子バスケットしかない」というような人がたくさんいるんです。そういう方って車椅子バスケを熱心に勉強しているんです。それこそアメリカに行って学んだり、本を読んで自分なりに研究したり......。僕なんかよりも、そういう人がヘッドコーチのポストに立つべきなのかなって。
二宮: サッカーへの気持ちは?
京谷: 正直、車椅子バスケットとサッカーなら、サッカーの指導者になりたいという気持ちの方が強いんです。というのも、サッカーは子供の頃からずっと「自分が一番だ」と思ってやってきたので、サッカーに対しては自分なりのビジョンやイメージがあるんです。車椅子バスケットもサッカーに置き換えてやっているくらいですから。
二宮: 車椅子バスケットの経験もいかしていきたいと。
京谷: はい。車椅子バスケを通していろいろなことを勉強させてもらいましたからね。指導者って、もちろん戦術や戦略も必要ですけど、一番大事なのは選手のモチベーションをどうやってあげていくのか、つまりコミュニケーション力だと思うんです。自己のプレースタイルさえしっかりもっていれば、理論などは後付けでも十分なのかなと。
二宮: 選手の人間的成長を促すということも、指導者にとっては大切ですよね。
京谷: はい。その点、僕は底辺の部分もトップの部分も経験している。特に車椅子バスケではゼロから這い上がってきたわけですから、指導者としてもいろいろな立場の選手に対応することができると思うんです。
二宮: 事故によって、今まで気がつかなかった部分に気がついたり、見えなかった部分が見えたりしたこともあるんでしょうね。
京谷: そうですね。今では事故に遭ったことすら感謝しているんです。当時はサッカーができなくなって、「なんでオレからサッカーを奪ってしまうんだ」って思いましたけど、今ではそれも良かったのかなって。というのも、サッカーをやっていた時は本当に自分勝手で、何でも自分が一番だと思っていたんです。「オレより上手いやつはいない」と。勝負ごとですから、それがいいように働いていたこともありましたが、多分他人を認めるのが怖かったんでしょうね。「自分より上手い」と思ってしまったら、自分の負けを認めてしまうわけですから。だからたとえ「こいつ、すごいな」と思っても、「オレはこいつよりこことここは上回っている」と二つ以上は自分のいいところを探して、自己満足していたようなところがありました。
二宮: 事故が人生の転機になったと。
京谷: はい。それまでは当たり前だったことが、両足の機能を失ってできなくなってしまった。それで「うわ、オレ、一人じゃ何もできないんだ」って思ったら、周りがどれだけ支えてくれているかってことに気づいたんです。「オレ、いろんな人に支えられて生きているんだ」って。妻と入籍したことも大きかったですね。事故に遭ってサッカーもできなくなり、何もなくなってしまった、と思ったら、妻から入籍をしよう、と言ってくれた。「一人じゃないんだ」って思いましたね。それに彼女の覚悟の大きさを考えたら、今自分がしなければいけないことはサッカーができなくなってクヨクヨすることなんかじゃなく、彼女を幸せにするために頑張ることだ、と。そう思ったら前向きな気持ちになれました。多分、今の僕があるのは妻のおかげですね。
障害者支援の拡充を目指して
二宮: 普段はどんなお仕事をされているんですか?
京谷: 株式会社インテリジェンスで障害者リクルーティングアドバイザーとして障害者の転職活動をサポートしています。転職サイト「DODA」内に設けられた障害者のための転職支援「DODAチャレンジ」というコーナーでさまざまな方にインタビューをして、障害者雇用の促進を図っているんです。
二宮: アドバイザーとして今後、やってみたいことは?
京谷: 最終的には障害者アスリート支援につなげていければと思っています。そのためにも今やっている「DODAチャレンジ」を障害者や企業に認知してもらって、実績を上げていきたいなと。というのも、自分自身の経験から障害者がパラリンピックを目指すときに一番ネックとなるのが就労の問題なんです。稼ぎがなければ道具も買えないし合宿にも参加することはできませんので、まず働き口が必要です。さらに仕事があっても、遠征に行ったり大会に出場するとなれば、休みをいただかなくてはいけない。ですから、企業の理解が必要なんです。そういった問題で、せっかく選手として優秀でも辞めざるを得ないことも少なくないのが現状です。所属選手が世界で活躍すれば、企業にとってもメリットはあるはず。企業とアスリートとをうまくマッチングできればと思っています。
二宮: 障害者スポーツに理解のある企業が増えればいいですね。
京谷: はい、本当にその通りです。企業側の協力がないと、世界を目指すことなんてできないんです。
二宮: そのためにも、アスリート側から現状を積極的に発信していかなければいけませんね。
京谷: はい。これまでも選手たちはいろいろなところで訴えてはいるのですが、やはり現状で満足している部分もあると思うんです。僕たちから行動を起こしていかないと、何も変わらないですから。たとえば各競技団体から代表候補者を企業に推薦するという方法もあると思うんです。「この選手は次のパラリンピックで活躍が期待されています」というふうに推してくれれば、支援を買って出てくれる企業もあると思うんですよね。
二宮: なるほど、それはいいアイディアですね。京谷さんは日本の障害者スポーツの"顔"ですから、障害者スポーツ界をこうしたいという強い使命感をおもちなのでしょう。
京谷: あと何年できるかわかりませんが、現役のうちにいいものを少しでも障害者スポーツ界に残していきたいなと思っています。
(おわり)
<京谷和幸(きょうや・かずゆき)プロフィール>1971年8月13日、北海道生まれ。小学2年からサッカーを始め、室蘭大谷高校時代にはインターハイ2回、高校選手権3回、国民体育大会3回出場。3年時の選手権では優秀選手に選ばれた。2年時にはユース代表、3年時にはバルセロナオリンピック代表候補にも選ばれるなど、将来を嘱望されていた。高校卒業後、古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)に入団したが、93年に自動車事故で引退。94年から車椅子バスケットボールチームの千葉ホークスに所属し、全国車椅子バスケットボール選手権大会で8度の優勝を経験。日本代表としても活躍し、シドニー、アテネ、北京と3大会連続でパラリンピックに出場した。今年7月に英国・バーミンガムで開催される世界選手権代表にも選出された。
現在は、(株)インテリジェンス(総合人材サービス業)提供の障がい者専門人材サービス事業にて、自身の経験や視点を生かし、企業や個人に向けたアドバイスを行う"障がい者リクルーティングアドバイザー"としても活動している。
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(構成・斎藤寿子)