二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.06.17
第3回 障害者スポーツに立ちはだかるハードル
~国民誰にもスポーツする権利がある~(3/4)
二宮: 障害者スポーツの法的な根拠にあたるものといえば、主に福祉について述べられている「障害者基本計画」ですが、スポーツという観点から見ると、物足りない面がありますね。
森: そうです。福祉と障害者スポーツをひとくくりにしてしまうからおかしなことになる。
二宮: 障害者スポーツをスポーツとして見るならば、やっぱり文部科学省が管轄する一般スポーツと同じ所に置くべきだと思うんです。しかし、厚生労働省がその二つを切り離そうとは微塵にも考えていないのでは?
森: もともとスポーツをやることに対して健常者も障害者も同等の権利をもっていて、誰もが自由にできるんだということになっておれば、役所のメンツなんかは必要ないわけだよね。ところが現状は、文部科学省と厚生労働省が、それぞれ全く違うところでスポーツ事業を行なっている。これでは同じスポーツでも、一つにまとめることは難しくなるわけですよ。
二宮: 幼稚園と保育園の一元化の問題も同様ですよね。文科省と厚労省の対立が背景にある。
森: しかも、文科省と厚労省にわかれ、縄張り争いをしていることを、一般の人たちが理解していないことも少なくない。実はこんなことがあった。2016年の東京オリンピック招致の際に、「オリンピック・パラリンピック委員会」にしようという提案があったんです。それで私が「そんなこと簡単に言うけど、オリンピックは文科省で、パラリンピックは厚労省だよ。その委員会はどっちの役所の管轄になるんだい?」って訊いたら、もうみんなキョトンとしているんですよ。安易に考えていたのかもしれないけど、管轄の違いは各省庁の予算取りに直結する大きな問題だし、体育とか福祉とかネーミングの使用一つにしても、役所は勝手に使わせないですからね。
二宮: まさに国益よりも省益ですね。
森: そう。そこで初めて障害にぶつかるんですよ。
スポーツ報道の無理解
二宮: 縦割り行政の弊害の極みですね。これを調整するのが政治家の仕事でしょう。
森: まぁ、誰がするにしてもいい加減ではダメだということですよ。それこそ「ネーミングなんか、どっちでもいいよ」なんてやっていると、後から必ず問題が出てきますからね。
二宮: 予算の問題もありますよね。日本のスポーツ関連予算は、文科省だけではない。厚労省や総務省にも振り分けられている。一番多くの予算を握っているのは国土交通省。これをまず一元化しなければならない。
森: 予算の確保はどこも必死だからね。文科省も厚労省も引かないとなれば、一層のことスポーツ庁を内閣府に所管させる方法も考えられます。ただその場合、日本オリンピック委員会(JOC)や財団法人体育協会が文科省、日本パラリンピック委員会(JPC)が厚労省の管轄になっていることの正当性がなくなる。全てをスポーツ省または庁へ移行すれば、ベストでしょうね。
二宮: 政策もそうですが、障害者スポーツに対しての報道の仕方についても気になります。障害者スポーツの選手からよく聞かされるのは「自分たちをアスリートとして扱ってほしい」ということです。新聞でもスポーツ面ではなく、社会面に記事が出るなど、障害者スポーツをスポーツとして見てくれていないと。でも昔に比べれば、日本でもだいぶ障害者スポーツへの見方も変わってきていて、彼らをちゃんとアスリートとして見ようという動きはだいぶ高まってきているかなとも思います。森さんはパラリンピックなどの報道をご覧になられて、どう感じていらっしゃいますか?
森: 私はね、とにかくスポーツ報道に携わる者のスポーツへの理解がなさすぎると思うんです。それは障害者スポーツに限らない。例えば、たいした内容でなくても人気スポーツは一面にトップに持ってくる。サッカー日本代表が合宿地に到着したっていうだけで一面を飾るでしょ。他にニュースがないならいいですけど、もっとマイナーでも大事な決勝戦の結果など取り上げるべきニュースがあるのに、優先順位が人気スポーツに偏っている傾向があるんです。そういう報道の偏見をまずはなくすべきです。
(第4回につづく)
<森喜朗(もり・よしろう)プロフィール>
1937年7月14日、石川県生まれ。県立金沢二水高校ではラグビー部に所属。3年時には主将としてチームを牽引する。進学先の早稲田大学でもラグビー部に入部。体調を崩して退部した後は雄弁会に所属した。4年時には自民党学生部に入党し、青年部全国中央常任委員に就任した。卒業後、産経新聞社に入社。1963年、国会議員の秘書となり、政治の道へ。69年、第32回衆議院選挙に無所属で初出馬すると、トップで当選する。83年、第2次中曽根内閣で文部(現文部科学)大臣として初入閣。その後も通商産業(現経済産業)大臣、建設(現国土交通)大臣、自民党幹事長を歴任し、2001年には第85代内閣総理大臣に就任した。現在、日本体育協会会長、日本ラグビーフットボール協会会長、日本トランポリン協会会長、日本オリンピック委員会理事などを務め、日本スポーツ界の発展に寄与している。
(構成・斎藤寿子)