二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.06.24
第4回 財源なきスポーツ振興
~国民誰にもスポーツする権利がある~(4/4)
二宮: 2019年には初めて日本でラグビーW杯が開催されることも決定していますし、12年ロンドンのオリンピック、パラリンピックも近づいてきています。好成績を残すためには、財源の確保も必要です。
森: 僕がまだ若い頃、スポーツ振興に少しでも助成金をつくりたいと思って、競輪、競馬を狙ったんです。それらの施行法には体育事業や福祉、教育文化の振興が謳われている。にもかかわらず、実際は福祉にはお金が流れても、スポーツには全く来ない。せめて平等にしてもらおうと思って働きかけていたら、競輪を管轄する通商産業省(現経済産業省)、競馬を管轄する農林水産省などに「とんでもない」と大反対された。それで当時の馬主協会の会長が参議院の方だったので、スポーツ振興のためのレース、例えばオリンピックであれば「オリンピック特別レース」というふうにして、売上をそのままオリンピックの助成金にしようというのはどうですか、と提案したんだけど、これもダメだった。宝クジもそうだけど、競馬や競輪、それに競艇なんかは、何も悪いことをして集めたお金じゃない。一攫千金を夢見て楽しみながら出しているんだから、それをどう有効活用するかが重要だと思うんですけどね。
二宮: totoについても同じことが言えますよね。せっかくスポーツ振興クジとしてつくられたのに、なかなか浸透せず、結局当初は反対していたギャンブル性を高めることで救われたというのは大変な皮肉です。
森: そうです。とにかく反対勢力、つまり役人と族議員がたくさんいて、多くの条件をつけられたんです。絶対に子どもに触らせるなとか、対面販売じゃないとダメだとか......。もう、ダメダメづくしで、せっかくできても、わからない、売れない、当たらない......。借金だけが膨らんでしまって、もう廃止寸前までいった。結局BIGで救われましたけどね。
二宮: 世界を見渡しても、totoが子供の非行の温床になっているなんていう例はどこにもありません。逆に親子が楽しんで語らいを増やすきっかけになっている。子供がクジを買ったら「君たちのお小遣の一部がスポーツ振興のために使われるんだよ」とほめてあげるべきなのに、日本では逆に悪いことをしたかのような扱いを受ける。
森: 日本があらゆるスポーツイベントで勝てないのは政府補償がないからと言われている。しかし、そういったところでのお金が使えるのであれば、それは政府補償と同じ意味を持つことになるんです。そうなれば、パラリンピックをはじめ、障害者スポーツにも助成金がいくようになると思うんです。
二宮: そういう政治的行動を今後も期待しています。
森: もう私は、ロートルですから(笑)。ただ、これからも大いに応援していきたいと思っていますよ。
基本的理念あってのスポーツ政策
二宮: さて、来月には参議院選挙が予定されています。谷亮子(民主党)、堀内恒夫(自民党)、中畑清(たちあがれ日本)、江本孟紀(国民新党)......。与野党ともオリンピックメダリストや元プロ野球選手を擁立していますね。彼らは異口同音にスポーツ省、スポーツ庁の創設を、と語っていますが、実際はそう簡単ではありません。
森: 僕は、スポーツ関係者が立候補することは悪いことだとは思っていません。17年前、自民党が野党に転落した時、参議院選挙を目前に控えているというのに、議員みんなが意気消沈してしまった。今よりももっとシュンとしていましたよ。そこで何とか元気づけようと、釜本邦茂くんと橋本聖子さんを擁立したんです。二人とも「もしお役に立てるなら」と言ってくれました。特に橋本さんは当時、現役選手でしたからね。よくやってくれましたよ。
二宮: まさに今回の谷亮子がそうですね。現役を続けながら、政治家ができるのか......。
森: 当時も、はじめは党内で反対の声が少なくなかったんです。でも、橋本さんは見事に両立させましたよ。最後はみんなが彼女を認めていた。土井たかこ参議院議長(当時)が先頭を切って与野党全体で彼女の壮行会を開いてあげたくらいですから。やっぱり橋本さんの人柄でしょうね。
二宮: 立候補するのはいいのですが、「スポーツ省」「スポーツ庁」と連呼するばかりで、その中身についてはどうなのか。国としてスポーツをどう位置付けるのかという基本理念を示して欲しい。
森: そうだね。スポーツ界にはびこる問題がどこにあるのかを理解しているかどうかが重要だろうね。これまでも話をしてきたように、特に障害者スポーツは役所の問題が出てくるから、そこのところをきちんと理解していないと解決はできない。日本のスポーツ界が発展するには、役所の壁を取り除くためにも先ずスポーツ基本法が最重要課題になるでしょう。
(おわり)
<森喜朗(もり・よしろう)プロフィール>
1937年7月14日、石川県生まれ。県立金沢二水高校ではラグビー部に所属。3年時には主将としてチームを牽引する。進学先の早稲田大学でもラグビー部 に入部。体調を崩して退部した後は雄弁会に所属した。4年時には自民党学生部に入党し、青年部全国中央常任委員に就任した。卒業後、産経新聞社に入社。 1963年、国会議員の秘書となり、政治の道へ。69年、第32回衆議院選挙に無所属で初出馬すると、トップで当選する。83年、第2次中曽根内閣で文部 (現文部科学)大臣として初入閣。その後も通商産業(現経済産業)大臣、建設(現国土交通)大臣、自民党幹事長を歴任し、2001年には第85代内閣総理 大臣に就任した。現在、日本体育協会会長、日本障害者スポーツ協会最高顧問、日本ラグビーフットボール協会会長、日本トランポリン協会会長、日本オリンピック委員会理事などを務め、日本スポーツ界の発展に寄与している。
(構成・斎藤寿子)