二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.08.12
第2回 困難なアスリートの就職事情
~障害者スポーツと企業のかかわり~(2/4)
二宮: マルハンとの出合いは何がきっかけだったのですか?
狩野: 大学を卒業する際、現役を続けられる就職先を探していました。パラリンピックを目指すには1年の半分は海外を転戦しますので、費用もかかりますし、普通に就職活動していてはダメだなと。そこで自分を知ってもらおうとレポートを作成しました。チェアスキーへの思いや目標、将来展望などを書いて、それを履歴書と一緒にもう、数え切れないほどの企業に送りました。
二宮: その中の1社がマルハンだったと。
狩野: はい。僕に興味を持っていただいて、「お話をしましょう」という連絡をいただきました。
二宮: 韓社長もそのレポートは読まれたんですか?
韓: はい。結構長いレポートだったのですが、履歴書と障害者スキー連盟の推薦状と一緒に送られてきました。そこにはバンクーバーパラリンピックへの意気込みや、将来的には障害者スポーツの環境改善に一役買いたいということが書かれてありました。その内容に心を打たれました。
実は弊社は、その数年前からアスリート採用を始めていました。選手が現役を続けながら就職することが難しくなってきている中で、少しでもチャンスを与えられればと思いまして。それで狩野くんもアスリート採用の一人として入社が決まったというわけです。
金メダリストとしての責任
二宮: マルハン以外の企業の反応はいかがだったのでしょう?
狩野: 例えば「物品提供なら」とか、反応はさまざまでした。最も多かったのは「個人へのスポンサーはしていません」という回答でした。100社を超える数の企業に送らせて頂きましたが、直接会って話を聞いていただいたのは2、3社でした。
二宮: 選手は、現実問題として海外にも行かなければいけないし、道具にもお金がかかりますから、経済的な負担を考えると、現役続行は容易ではない。
狩野: そうですね。4年に一度のパラリンピックだけというわけにはいきませんから。毎年海外で行なわれるW杯を転戦しなければ、パラリンピックに出場する資格さえももらえないんです。そういったことを理解してサポートしていただかなければ、選手は競技を続けていくことができません。
二宮: 障害者スポーツへの世間の理解はまだまだ十分ではないと?
狩野: そう思います。幸いなことに僕自身は恵まれた環境でやれていますが、選手によってはケガをしても治療費を節約しなければならない人もいます。そもそも、ナショナルチーム自体に財力がないんです。文部科学省管轄のオリンピックとは違い、パラリンピックは厚生労働省が管轄ですから、世間的にはまだまだ競技というより福祉やリハビリの一環というふうにしか見られていない気がします。
二宮: やはりスポーツとして見られたいという気持ちは強い?
狩野: はい。見ていただければわかると思いますが、実際に僕たちがやっていることはスポーツですし、僕たち自身もアスリートとして真剣に勝負に挑んでいる。それを理解してもらえると嬉しいのですが......。
二宮: 金メダリストになったわけですから、後進のためにもそういった意見をどんどん発信していってください。
狩野: 僕自身はまだ金メダリストに相当する選手にはなれていないと思っていますが、実際なれたわけですから、そういうことも行動に移していかなければいけないと思っています。
(第3回につづく)
<狩野亮(かのう・あきら)プロフィール>
1986年3月14日、北海道網走市出身。小学3年の時に交通事故で脊髄を損傷。両足が不自由となり車椅子の生活となる。小学5年からスキー指導員の父親の指導のもと、チェアスキーに親しむ。98年長野パラリンピックに影響を受け、本格的に競技を始めた。岩手大学在学中の2006年、トリノパラリンピックに出場。08年にマルハンに入社。2度目のパラリンピックとなった今年のバンクーバー大会では滑降で銅メダル、スーパー大回転で金メダルに輝いた。
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◇SITSKIER 狩野 亮
<韓裕(はん・ゆう)プロフィール>
1963年4月17日、京都府出身。株式会社マルハン代表取締役社長。京都商業高校時代にはレギュラーとして夏の甲子園に出場し、準優勝に輝く。法政大学卒業後、株式会社地産に入社し、90年には現在のマルハンに入社。営業統括部長、常務取締役、代表取締役副社長を歴任し、08年に現職に就任した。
(構成・斎藤寿子)