二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.09.09
第2回 問われる指導者のプロ意識
~障害者スポーツの未来を考える~(2/5)
二宮: 河合さんはパラリンピックなど世界の舞台で活躍されてきました。その中で日本と他国との違いをいろいろと感じられたと思いますが、障害者スポーツに対して日本が抱える問題はどこにあると思われますか?
河合: まず一つは、日本はかたちから入るところがあるかなと思いますね。例えば競技施設についても、最初にバリアフリーかどうかだけで判断しようとするんです。本当に使いやすいかどうかは利用者が判断することなのに、周りが勝手に「障害者が利用するのには十分な施設ではない」と言って拒否しようとすることも少なくありません。
それと指導者としてのプロ意識が少し違うところにあるかなと。これは私自身が教師をやっていても感じていたことですが、例えば勉強がわからない子供に対して「なんでちゃんと教えているのにわからないんだ?」という教師がいるんです。経験上、「こういう指導をしたら普通はわかるはず」と決めてかかる。でも、それはそれまで教えた子供たちには理解できた指導方法というだけであって、理解できない子供がいたら、その子にわかるよう教えなければならない。それこそがプロの教師であるはずです。ところが、「自分はきちんと教えているんだ」というプライドを守ろうとするあまり、自分のやり方を押し通そうとするんです。ですから、例えば障害のある子供に対しても、理解してもらおうという努力もせずに、「こちらでは教えられないから、施設に行ってくれ」と投げてしまう教師も少なくない。
これはスポーツ界でも同様なんです。一般のスポーツクラブのインストラクターなんかは特に多いのですが、障害があるというだけで「無理だ」と頭から決めつけてかかる。本来、その競技の本質をつかんでいたら、一緒に試行錯誤しながら教えられるはずなんです。しかし、自分の経験値で教えられないことには触れようとしない。そんなのやる気がないだけですよ。それで入会を拒否されてしまうんですからね。
二宮: 河合さんはずっと教育の現場にいただけに、説得力がありますね。
河合: 私だって、完璧にできていたわけではありません。でも、教えてもわからない子供がいたら、それは私の教え方が悪いのであって、決して子供は悪くないという考えでやってきました。教師である以上、わかってもらえるように自分のスキルを高めなければいけないと。もちろん、誰だって最初からできるわけではない。あとは指導者のやる気や努力次第なんです。
理解すべきスポーツの本質的要素
二宮: 指導者として最も大事なものとは?
河合: 成功した時には周囲の人に感謝することができ、逆にうまくいかなかった時には他人のせいにするのではなく、自分自身の問題として捉えられる。そんな人が指導者として大成していくのではないかと思います。さらに言えば、成功した時に冷静に分析できる人。これは選手としても同様で、あらゆる分野での"成長の法則"なんじゃないでしょうか。
二宮: 河合さんは学校で教鞭を執っただけでなく、昨年の「東京アジアユースパラゲームズ」では日本代表の監督もされています。
河合: 指導する立場になって改めて感じたのは、スポーツは教育的要素が多分に含まれているということ。それを最大限にいかさない手はありません。
二宮: 指導者自身がそのことを理解し、有効活用していく必要があると?
河合: はい、おっしゃる通りです。これからはただ技術を教えるだけではなく、スポーツを通じて人間形成・人間教育をするような指導が求められるのではないかと思います。というのも、スポーツというとどうしても「娯楽」というイメージがあり、国の重要課題にはなりにくい部分がある。しかし、人間形成・人間教育にも役立つことがアピールできれば、スポーツの意義を理解してもらえるのではないかと思うのです。
(第3回につづく)
<河合純一(かわい・じゅんいち)プロフィール>
1975年4月19日、静岡県出身。5歳で水泳を始め、パラリンピックにはバルセロナから5大会連続出場。金5個、銀9個、銅7個の計21個ものメダルを獲得した。先天性ブドウ膜欠損症で生まれつき左目の視力がなく、15歳の時に右目も失明し全盲となる。しかし、教師への夢を諦めず、早稲田大学卒業後の98年には母校の舞阪中学に社会科教諭として赴任。2008年からは静岡県総合教育センター指導主事を務めた。今年7月の参議院選挙にはみんなの党から静岡選挙区で出馬。惜しくも次点で落選するも、今後もみんなの党の一員として活動し、政界に一石を投じる。現在、日本パラリンピアンズ協会会長を務める。
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◇Keeping Alive The Dreams
(構成・斎藤寿子)