二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.09.30
第5回 パラリンピック選手にもNTCの使用許可を!
~障害者スポーツの未来を考える~(5/5)
二宮: 今後も政治活動を続けていくということですが、競技者としての活動は?
河合: 選挙には落選したので、時間はたっぷりありますし、続けようと思えば続けられる環境にはあるのですが、中途半端にやるのもどうかなぁと......。12月に広州でアジア大会が開催されるのですが、もしリレーメンバーがそろえば出て欲しいと打診されています。ひとまずそれに向けて今は練習をしていますが、若い選手もどんどん育ってきていますからね。ロンドンパラリンピックに向けて、という気持ちはあまり強くはもっていないというのが正直なところです。自分が出場することよりも、パラリンピアンの環境整備のお手伝いができればと考えています。
二宮: パラリンピックというと、ナショナルトレーニングセンター(NTC)が使えないということが問題の一つとなっています。選手によっては、何度も頼み込んで、制限を設けられたうえで使用したこともあるという話も聞きました。オリンピック選手同様に自由に使えるようにすべきです。
河合: 本当にそうですよね。実は私もアテネと北京の前に1度ずつ、NTCのプールを使わせてもらったんです。
二宮: 手続きが大変だったのでは?
河合: ものすごく苦労しましたよ。私は何もオリンピックの強化選手が練習している時期に使わせてくれと言ったわけではないんです。オリンピックが開催されている時期、つまり強化選手が日本にいない時期を狙って頼みに行ったんです。それでも、断られるんですからね。でも、それで引き下がっていては使用することはできません。ですから諦めずにJOC、日本水泳連盟、文部科学省、国立スポーツ科学センター(JISS)とあらゆるところに話をしに行ったり、電話をしたりして頼みました。それで、ようやくプール使用の許可が下りたんです。ところが、今度は宿泊はダメだと。近くの宿舎を紹介すると言い始めたんです。それでも私は引き下がらず頼み込んで、無理矢理に宿泊もできるようにしたんです。
二宮: 私も他の選手のインタビューで食堂を使ってはいけないと言われたという話を聞いたことがあります。
河合: ひどいのは、こちらがそうやって頼み込んでようやく使わせてもらったことが、NTCの使用実績としてあげられていることなんです。
苦労してこそ道は開ける
二宮: パラリンピックの選手も日本の代表にかわりはないのですから、文科省がJOCに対し、ひと言言えば済む話だと思うのですが......。
河合: もちろん、最終的には文科省の意向によるものだと思いますが、結局どこに頼みに行ってもたらい回しにされるんです。「それは文科省が許可を出していないからダメです」「それについてはJOCに問い合わせしてください」という具合にね。これじゃ、責任転嫁していると言われても仕方ないですよね。
二宮: ロンドンに向けてもパラリンピックの選手のNTC利用は容易ではなさそうです。
河合: はい。しかし、選手側も最初から諦めてはダメですよ。先日も「(NTCを)使わせてもらえないんだよね」と言う選手がいたので、「そんなことを言っているだけでは、いつまで経っても使えるようにはなりませんよ」って言ったんです。私だって、行動に移したからこそ使えたんですから。前例がなければつくればいい。ただ、それだけのことなんです。我々パラリンピアンは常に前例のない人生を生き抜いているのですから。
(おわり)
<河合純一(かわい・じゅんいち)プロフィール>
1975年4月19日、静岡県出身。5歳で水泳を始め、パラリンピックにはバルセロナから5大会連続出場。金5個、銀9個、銅7個の計21個ものメダルを獲得した。先天性ブドウ膜欠損症で生まれつき左目の視力がなく、15歳の時に右目も失明し全盲となる。しかし、教師への夢を諦めず、早稲田大学卒業後の98年には母校の舞阪中学に社会科教諭として赴任。2008年からは静岡県総合教育センター指導主事を務めた。今年7月の参議院選挙にはみんなの党から静岡選挙区で出馬。惜しくも次点で落選するも、今後もみんなの党の一員として活動し、政界に一石を投じる。現在、日本パラリンピアンズ協会会長を務める。
河合純一氏のブログはこちらから
◇Keeping Alive The Dreams
(構成・斎藤寿子)