二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.12.23
第4回 文化としての障害者スポーツ
~スカパー!の挑戦~(4/5)
二宮: 田中さんは日本テレビに勤められていた時には、プロ野球や箱根駅伝、世界陸上など、さまざまなスポーツ中継の指揮を執ってきました。障害者スポーツの中継には、こうした過去の経験がいかされているのではないでしょうか。
田中: もちろん、これまでの経験なしには、障害者スポーツには取り組めていません。なぜ、テレビの草創期からスポーツが有力コンテンツとして成立しているのか、その根源を日テレ時代に学んだんです。つまり、人がレジャースポーツではなく、競技スポーツに魅了される理由とは何かということです。その答えはボッチャの選手が言っていたことにも通じるわけですが、選手にとってスポーツは「生きがい」であり、人生そのもの。それだけ真剣に取り組んでいるということです。だからこそ、観ている人をひきつける。それが障害者スポーツにも十分にあるということを確信しているからこそ、中継の意義を感じているんです。
二宮: 実際、車椅子バスケットボールの中継をして感じたことは何でしょう?
田中: 日本と海外との障害者スポーツへの意識の違いですね。2008年の北京パラリンピックでは、まず一番に会場の雰囲気が非常に明るかったことに驚きました。日本では障害者スポーツというと、特別なものというイメージがありますよね。でも、北京パラリンピックでは一切、そういったものは感じませんでした。障害は選手の個性として受け入れられていて、障害者スポーツがスポーツ文化として認められているんでしょうね。
国を揚げての支援を!
二宮: 日本ではパラリンピックの認知度があまりにも低い。これでは障害者スポーツの広がりは望めません。
田中: 東京が2016年のオリンピック・パラリンピック招致活動をする際、最初は「東京オリンピック招致委員会」とされていたんです。つまり、パラリンピックの存在がそこにはなかったのです。北京大会以降、オリンピックの開催地となれば、それは自動的にパラリンピックの開催地となり、同じ組織委員会が運営することになりました。それなのに、招致の段階でパラリンピックの存在が忘れられていた。残念なことですが、それくらいの認識しか、今の日本にはないということです。
二宮: 確かにその通りなんですよね。途中からようやく「東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」となった始末。それでパラリンピックで多くのメダルを望むのは無理ですよ。しかし、東京都もそのことを猛省し、今では新たに設置された「スポーツ振興局」でスポーツと障害者スポーツを一元化して取り組んでいます。これは国に先駆けた取り組みとして、評価すべき点でしょう。とはいえ、やはり国としてのしっかりした体制は不可欠です。しかし、日本では遅々として進まない。例えば、ナショナルトレーニングセンター(NTC)はバリアフリーにつくられてはおらず、最初からパラリンピック選手の使用は考慮されていないわけです。障害者スポーツが広く認知されている欧米が聞いたら、さぞかし驚くでしょうね。
田中: 今年度から車椅子バスケットボール連盟は日本バスケットボール協会の公認団体となりました。ですから、理屈の上では車椅子バスケットボールの代表選手もNTCを使えるはずなんですが......。隣の韓国では健常者も障害者もNTCを自由に使うことができますし、現在は障害者スポーツ専用のNTCも建設中です。今やオリンピックのメダル獲得のために国を揚げて取り組むのは当然ですが、進んでいる国ではパラリンピックにも国がサポートするようになっています。
二宮: 韓国も以前は日本の文部科学省と同じく、文教部という教育行政の中にスポーツが含まれていました。しかし、1982年にスポーツの独立行政機関である体育部を設置。91年からは文化体育観光部の中に体育局を置いています。その体育局には障害者スポーツを担当する障害人文化体育チームもあります。
田中: 日本も早くスポーツの独立行政機関をつくり、一般スポーツと障害者スポーツが同じスポーツとして扱われるようにしなければいけませんね。
(第5回につづく)
<田中晃(たなか・あきら)プロフィール>
1954年、長野県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年、日本テレビ放送網株式会社に入社。箱根駅伝や世界陸上、トヨタカップサッカーなど多くのスポーツ中継を指揮した。さらに民放連スポーツ編成部会幹事として、オリンピックやサッカーW杯などの放送を統括。コンテンツ事業推進部長、編成局編成部長、メディア戦略局次長を歴任する。2005年、株式会社スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT株式会社)執行役員常務となり、現在同社執行役員専務、放送事業本部長を務めている。
(構成・斎藤寿子)