二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.01.13
第2回 新たな挑戦――日本スポーツ界の明日を求めて
~日本スポーツの未来のために~(2/4)
二宮: 大日方さんが初めてパラリンピックに出場したのが1994年のリレハンメル大会。その2年後にNHKに入局されました。ディレクターとしてさまざまな番組制作に携わりながら、当時は日本で初めてのパラリンピック、長野大会に向けて練習もしなければならない、海外の大会に出場しなければならないと、大変だったでしょう。
大日方: いえいえ。その頃は国際大会に出場するのも年に一度でしたし、その他は月に一度、土日をはさんだ2泊3日での国内合宿がある程度。正直言って、趣味の範囲内でできるくらいだったんです。それが長野パラリンピックをきっかけにして急激に変わりました。今では海外に行っている期間の方が長いくらいですからね。当時はこんなふうになるとは、夢にも思っていませんでした。
二宮: そういった環境の変化が2006年の電通PRへの転職のきっかけとなったのでしょうか?
大日方: そうですね。NHKもパラリンピックには理解があり、随分と協力はしてもらったんです。しかし、2006年のトリノ大会で金メダルを獲ったことで、さらに競技に多くの時間を割かなければならない状況になってしまった。ディレクターは、時に人の人生を扱うこともあり、片手間ではできない仕事です。私にとって、仕事も競技も大事。それだけにさすがにこれ以上は無理だな、と。仕事と競技の二足のワラジの生活ではどちらも中途半端になってしまうと思い始めていたんです。
二宮: そんな時に電通PRから話をいただいた、と。
大日方: はい。電通PRから少なくとも10年のバンクーバー大会までは競技を仕事として見ていただけるというお話をいただきました。私自身も一度、365日24時間、競技のことだけに集中するといった生活をしてみたいと思っていたんです。パラリンピックのオリンピック化が進む中で、他の選手がプロのように競技を中心とした生活をするようになっていましたから。自分もそういう生活をしたら、また何か違うものが見えてくるのではないかと思ったんです。
二宮: 実際、やってみていかがでしたか?
大日方: 自分にとっては新しいことにチャレンジできた2年9ヶ月で、貴重な経験をさせてもらいました。トレーニングはもちろん、食事や睡眠時間など、生活のサイクル全てが競技のため。好きなだけスキーのことを考えることができました。アスリートにとって、これほど恵まれた環境はないと思いました。ところが、だんだんと自分自身に違和感を覚えていったのも事実です。というのも私は元来、好奇心が強い方で何でも知りたいと思う性格なのですが、自分自身で競技以外の情報をシャットアウトするようになっていたんです。どんどん狭い世界に入り込んでいくようで、ちょっと怖かったですね。
二宮: ひとつのことに集中するのは素晴らしいことですが、その反動として視野が狭くなってしまったんでしょうね。
大日方: 自分で自分を追い詰めすぎてしまいました。
第一線から退いた真実
二宮: とはいえ、バンクーバーでは銅メダルを2個獲得し、アスリートとしては結果を出しました。それでも第一線から退いたのはなぜでしょう。
大日方: 実は一線から引こうかなと思ったのはバンクーバーの前からなんです。チェアスキーに出合って、これまで18年間競技生活を続けてきたわけですが、最近はパラリンピック選手が抱える環境を抜本的に変えていくために、自分が果たすべき役割は何だろうと考えるようになっていました。と同時に、日本のスポーツ界全体が非常に大きな問題を抱えていることも見え始めてきた。これからはパラリンピックのことだけでなく、もっと幅広く考えていかなければならないのではないかと思ったんです。
二宮: 選手としてではなく、他にやるべきことが見えてきたわけですね。
大日方: はい。もちろん、選手として発信できることはたくさんあります。でも、どうしても競技中心になってしまう。1年の約3分の2は海外に行っていて日本にはいませんから、何かをしようと思っても制約されてしまうわけです。
二宮: なるほど。それで日本にいられるように、国際大会からは退いた、と。
大日方: そろそろ自分の経験を生かして、恩返ししていく時期なのではないかと思ったんです。
二宮: バンクーバー後には、JOCアスリート委員会に入られましたね。
大日方: オブザーバーというかたちで入れていただいたのですが、ここでは「アスリートから何が発信できるのか」といったことをオリンピック選手と一緒に考えていこうとしています。それ自体、私としては新たな一歩です。というのも、これまでオリンピック選手とオリンピックやパラリンピックの価値や今後について話をしたことがなかったんです。
二宮: オリンピック選手との壁が低くなったわけですね。
大日方: はい。実際に話をしてみると、意外にオリンピック選手でもスポンサーなどの問題を抱えていて、競技生活を続けていくために非常に苦労されていることがわかりました。また、金メダルをとっても、その経験をどう生かしていこうかと模索していたり......。改めてアスリートとしての悩みはオリンピックもパラリンピックも変わらないんだなと感じました。
(第3回につづく)
<大日方邦子(おびなた・くにこ)プロフィール>
1972年4月16日、東京都生まれ。3歳の時に交通事故で右足を切断、左足にも後遺症が残る。高校2年の時にチェアスキーと出合い、94年リレハンメルパラリンピックに出場。98年の長野大会では滑降で日本人初の金メダルに輝いた。昨年のバンクーバーまで5大会連続で出場し、計10個のメダルを獲得した。中央大学卒業後、96年にNHKに入局。07年6月からは電通PRに勤務。
(構成・斎藤寿子)
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