二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.01.20
第3回 スイスのアルペンチームから学ぶこと
~日本スポーツの未来のために~(3/4)
二宮: 大日方さんは現在、積極的に講演活動をされています。小学校や中学校で子どもたちと話す機会も数多くあるようですが、そこではパラリンピックの礎を築いたルードウィッヒ・グットマン博士の「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」という言葉を最後の締めの言葉として用いられるそうですね。
大日方: はい。グットマン博士の言葉は障害に対してだけでなく、全てに生きるものだと思うんです。
二宮: 例えば時間もそうですよね。いくら過去を振り返っても、その時間が戻ってくるわけではない。そうであるならば、残された時間をどう生かすかを考える方が大事。非常に含蓄のある言葉ですね。
大日方: 私自身、自分に残されたものを最大限に生かしたからこそ、パラリンピックで自分が納得した成績をおさめることができた。今、改めてそう思っていますし、これからは違うかたちで自分にあるものを生かしていけたらなと思っています。
二宮: まさに障害者スポーツは「残されたものを最大限に生かした」競技。ルールや用具の工夫ひとつで、一般スポーツとは一味違った魅力的なスポーツになり得るわけですから。とはいえ、日本では障害者スポーツがスポーツだという認識はまだまだ薄い。選手を取材しても「ちゃんとアスリートとして扱ってほしい」という声は少なくありません。
大日方: そういった意見は私自身が1998年の長野パラリンピックから言い続けてきていることなんです。今でも忘れられないのは私が初めて出場した94年のリレハンメル大会でのこと。アルペンスキーの先輩が銀メダルと銅メダルを獲ったんです。そのことが地方紙の社会面に載ったと、日本から現地にFAXで記事が送られてきました。見れば、わずか3行足らずの記事でしたが、みんなで大喜びしたことを覚えています。それこそ、国外開催のパラリンピックで現地取材なんてありませんでしたから。と同時に「スポーツ選手としては、ちょっと寂しいよね」という話もしていました。ですから、長野大会では記者の前で「私の記事が社会面ではなく、スポーツ面に載ることが目標です」と言ったんです。そしたら金メダルを獲得した記事が、斜面を滑っている私の写真と一緒に日刊スポーツ紙の一面に載りました。確か、一般紙の一面にもカラーの写真付きで載ったと思います。そんな昔の頃に比べると、今はだいぶパラリンピックも大きく取り上げられるようになったと思います。
二宮: スポーツ紙の一面に取り上げられたのは、パラリンピックではおそらく大日方さんが初めてでしょうね。
大日方: はい、そうだと思います。メディアに取り上げられること自体、長野大会からでした。とはいえ、現状に満足しているわけではありません。もっと純粋にスポーツとして取り上げてほしいと思っています。しかも、今はパラリンピックの前後だけしか注目されません。これを4年間、継続的に取り上げられるようにしたい。そうすれば、パラリンピックにいたるまでの葛藤や成長といったアスリートの部分を見てもらえると思うんです。
二宮: そのためには、選手の方からもっと情報を発信していく必要があるかもしれませんね。オリンピック選手もブログやツイッターなどで自分の近況を報告している。その情報をメディアが活用することも少なくありません。
大日方: なるほど。確かにそういう時代になってきているのかもしれません。貴重なアドバイスをいただき、ありがとうございます。
スイスチームに見る海外との差
二宮: 大日方さんはパラリンピックをはじめ、国際大会の経験が豊富ですから、海外の障害者スポーツ事情にも大変お詳しい。海外と日本の違いは?
大日方: 海外ではスキーならスキー、テニスならテニスとオリンピック競技とパラリンピック競技が同じ団体の中で一緒に活動していることが多いんです。ですから、オリンピック選手もパラリンピック選手も等しく扱われているんです。
二宮: 同じ国の代表と見ているわけですね。
大日方: はい、そうなんです。これはあるメーカーから聞いた話ですが、スイスのアルペンスキーチームにユニフォームの提供を持ちかけたところ、チームから条件として提示されたのは「オリンピック選手同様、パラリンピック選手にも同じユニフォームを提供すること」だったんです。つまり、一つのチームとしてみているわけです。これならパラリンピック選手側から声をあげるよりも、よりスムーズな形でサポートを受けることができますよね。
二宮: 日本ではなかなかそうはいかない。
大日方: 競技によって差はありますが、以前と比べると日本も徐々に改善されてきてはいるんです。例えばテニスは日本テニス協会と日本車いすテニス協会が存在していますが、深く連携し合っています。また、昨年度から日本車椅子バスケット連盟は日本バスケットボール協会の公認団体となりました。私たちスキーも団体同士のつながりはまだ薄いのですが、日本スキー連盟と日本障害者スキー連盟の関係が深まることを願っています。
(第4回につづく)
<大日方邦子(おびなた・くにこ)プロフィール>
1972年4月16日、東京都生まれ。3歳の時に交通事故で右足を切断、左足にも後遺症が残る。高校2年の時にチェアスキーと出合い、94年リレハンメルパラリンピックに出場。98年の長野大会では滑降で日本人初の金メダルに輝いた。昨年のバンクーバーまで5大会連続で出場し、計10個のメダルを獲得した。中央大学卒業後、96年にNHKに入局。07年6月からは電通PRに勤務。
(構成・斎藤寿子)
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