二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.03.24
第4回 肌で感じる環境の変化
~世界のトップであり続けるために~(4/5)
二宮: 国枝さんは日本の障害者スポーツ界を代表する存在です。その国枝さんの目に、最近の障害者スポーツはどう映っていますか?
国枝: 障害者スポーツ界全体としては、他の競技を十分に見ることができていませんので、なかなかお答えするのは難しいのですが、少なくとも車いすテニスに関しては少しずつ変わってきているなと感じています。
二宮: どんなところでそれを感じますか?
国枝: 僕が一番感じているのは、毎年5月に福岡県で開催されるジャパンオープン(飯塚国際車いすテニス大会)ですね。国内で最も大きな大会なのですが、僕が初めて出場した2002年の頃は決勝戦でさえも100~200人程度の観客しかいなかったんです。ところが、毎年どんどん増えていて、今では1000人程の方が見に来てくれるんです。それだけでも、車いすテニスが認知されてきたことを肌で感じます。また、新聞でもグランドスラムの結果がしっかりとスポーツ欄で扱ってもらえるようになりました。車いすテニスにおいては、着実に進歩していると思います。
二宮: 例えば、野球少年が「イチローみたいになりたい」と憧れるのと同じように、「国枝慎吾みたいなテニス選手になりたい」と思っている子どもが増えているのでしょうね。
国枝: 僕が通っているテニストレーニングセンター(吉田記念テニス研修センター)でも、「車いすテニスをやりたい」と言って通ってくる小学生や中学生の子どもたちが随分と増えてきました。3年くらい前は3、4人しかいなかったのですが、今では15人くらいいます。僕にとっても励みになっていますし、今後も何か協力できることがあればやっていきたいと考えています。
幼少時代からの積み重ねが財産に
二宮: 車いすテニスも子どもの時期からやっているのといないのとでは上達の仕方も違うのでしょうか?
国枝: 間違いなく、子どもの頃からやっていた方が有利ですね。というのも、車椅子の扱い方は大人よりも子どもの方が上手いんです。今年の全豪オープン決勝で対戦したステファン・ウデは大人になってから事故で車椅子になったんですね。それまではプロのテニスプレーヤーを目指していたくらいなので、車いすテニスでもラケットワークは抜群でした。ですから、彼が最初に出てきたときは、結構衝撃的だったんです。でも、車椅子をこぐことに慣れていなかったので、フットワークという点では難があったんです。デビューから6、7年くらい経ちますが、正直言って今でも車椅子のこぎ方は上達していないですね。もともとのセンスも必要かもしれませんが、やはり小さい頃からやっていた方が有利だということは言えると思います。
二宮: 選手としてセンスがあるかどうか、その見極め方は?
国枝: 車椅子のこぎ方でわかりますね。まず、テニス用の車椅子に乗らせてみるんです。そうすると、10分くらいで結構、差が出るんですよ。上手い子は上半身だけでなく、体全体を使って車椅子をこぐことができるんです。車椅子が道具というよりも、その子の足になっているんですね。
二宮: 子どもの吸収力はすごいですね。
国枝: 本当にそう思います。僕自身、子どもたちを見ていて「無駄な力を使わずに車椅子を操作していてすごいな」と思うことがよくあるんです。いかに車椅子にうまく力を伝えられるかを、子どもたちは自然と身につけてしまうんでしょうね。
(第5回につづく)
<国枝慎吾(くにえだ・しんご)>
1984年2月21日、千葉県出身。小学4年の時に脊髄腫瘍で車いす生活に。小学6年から車いすテニスを始めた。2004年アテネパラリンピックダブルスで金メダルを獲得。07年には車いすテニス史上初のグランドスラムを達成。08年北京パラリンピックシングルスで金メダルに輝いた。09年4月、プロ転向を表明。06年から世界ランキング1位をキープし続けている。昨年は連勝記録が107でストップしたが、今年1月の全豪オープンでシングルス、ダブルスともに5連覇を達成した。
(構成・斎藤寿子)
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