二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.04.21
第3回 共生社会実現への課題
挑戦者たち1周年特別企画
~障害者スポーツの未来を語る~(3/4)
伊藤: 私は昨年、初めて大分国際車いすマラソンを現地で取材しました。その時感じたのは、別府という町は本当にノーマライゼーションが浸透しているんだな、ということだったんです。特に「太陽の家」周辺では健常者と障害者が自然なかたちで生活している。スーパーや銀行には車椅子の人が普通に出入りしていますし、健常者が障害者を特別な目で見るようなことはありません。
中村: この町の人たちは、車いすの人たちを見慣れてしまっているんでしょうね。だから自然体で触れ合うことができる。私はマラソンやロードレースをやっているのですが、川沿いや国道を走っていると、普通に車いすランナーとすれ違うんです。それこそパラリンピック選手がトレーニングしている姿を見ることは日常茶飯事なんです。そんなふうにして常に車いすの人たちを見ていますから、全く違和感なく彼らと接することができるんですね。
伊藤: 現在、国内では17人に1人が障害者だと言われています。ですから本来であれば、至る所に障害者がいてしかるべきなんです。ところが、健常者が障害者を何か特別な存在であるかのように見てしまうために、障害者の社会参加の場を狭めている傾向があります。例えば一般のスポーツジムやプールでは障害者の利用に対して嫌悪感を抱く人もいると聞きます。そうすると、障害者はなかなか外に出ようとせず、引きこもりがちにならざるを得ない。これではいつまでたっても、健常者と障害者の共生社会は実現しません。
中村: 障害者への偏見というのは、だいぶなくなってきているのかなと思っていましたが、やはりまだ根深く残っているんですね。
環境が育てるノーマライゼーション
二宮: 障害者が施設を利用できない、あるいはしにくいという現状は早急に改善されるべきです。まずはお互いの違いを認め合うという教育からなされなければならない。
中村: 障害者に施設を利用させないというのは、ここでは考えられない発想ですよ。例えば、お店に階段があっても障害者が来てもいいように専用のスロープを用意したりしているんですよ。聞けば、彼らにとって障害者も大事なお客さんの一人。だから特に福祉とか慈善事業とかを考えてやっているわけではなく、商売として当然のことをやっているだけだと言うんです。
伊藤: そういう町だからこそ、大分は世界の障害者アスリートに人気があるんでしょうね。今年2月に開催された東京マラソンに参加した車いすランナーの人が「せっかく日本に来たから、1週間くらい観光に行く」と言っていたんですね。それで「どちらに行かれるんですか? やっぱり京都ですか?」って聞いたら「いいえ、大分です」と言うので、正直その時は少し驚いたんです。でも、中村先生のお話を聞いて、納得しました。
中村: ここは障害者も外国人も大勢いる。そういう環境が当たり前になっているんです。
伊藤: 子供の頃からそうした環境で障害者と触れ合っていれば、自然と受け入れられるようになるんでしょうね。
中村: 逆にここで車いすの人が目立とうと思っても、「何かやっているな」くらいにしか思われないんです。例えば、車いすのちんどん屋なんて、他の町でやったら、相当目立ちますよね。ところが、ここでは普通に通り過ぎてしまう。だから「誰も注目してくれない」なんて言って、困っていましたよ(笑)。
二宮: 別府には立命館アジア太平洋大学があることで外国人留学生が多い。「太陽の家」があることで多くの障害者が自立して生活している。加えて日本でもトップクラスの温泉がある。国際的な観光都市、文化福祉都市として、今後、さらに魅力が出てくるんじゃないでしょうか。
(第4回につづく)
<中村太郎(なかむら・たろう)プロフィール>
1960年9月、大分県生まれ。日本の障害者スポーツの創始者・中村裕氏(故人)の長男。川崎医科大学卒業後、大分医科大学整形外科、九州労災病院整形外科を経て、2000年より医療法人社団恵愛会大分中村病院院長を務める。06年、社会福祉法人「太陽の家」理事長、翌年には大分中村病院理事長に就任した。医師の傍ら、障害者スポーツの普及にも尽力し、00年シドニー、04年アテネのパラリンピックでは日本選手団のチームドクターを務めた。
1972年、オムロン株式会社と社会福祉法人「太陽の家」の共同出資会社として大分県別府市で創業。国内初の福祉工場として誕生した。オムロンと太陽の家は、85年には京都オムロン太陽電気株式会社(90年、「オムロン京都太陽株式会社」に社名変更)も設立している。「企業は社会の公器である」という企業理念の下、オムロンの部品事業であるソケット商品の計画・調達・製造・品質管理・流通およびセンサー・スイッチの生産を行なっている。別府市にあるオムロン太陽と太陽の家別府工場の社員・従業員99名のうち、障害者は61名(2011年3月1日現在)。働く一人ひとりが主役となり、働く喜びと生きがいに満ち溢れた職場の実現を目指している。職場は完全バリアフリー化され、車いすの高さに合わせて作業台を調整するなど、障害の種類に応じて必要な作業システムを独自開発。さまざまな工夫を凝らしながら、社員が作業能力を発揮できる環境づくりを行なっている。スポーツへの理解度も高く、2006年から同社に勤める笹原廣喜は北京パラリンピック車いすマラソンで銀メダルを獲得した。
(構成・斎藤寿子)