二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.04.28
第4回 保護よりも可能性の拡大を
挑戦者たち1周年特別企画
~障害者スポーツの未来を語る~(4/4)
二宮: 中村裕先生の言葉で「身障者に 保護より 働く機会を 太陽を」とありますが、本当にその通りだと思います。僭越ながら、私も全く同じ考えなんです。
中村: ありがとうございます。現在では、そうした考えも理解されるようになってきましたが、父の頃は本当に苦労が多かったと聞いています。
伊藤: 東京パラリンピックの時、米国やカナダといった先進国の選手たちが職業をもっていることに、日本の選手たちは非常に驚いたとか。しかも、結婚して子供までいる。病院で過ごす自分たちとのあまりの違いに、大きなショックを受けたそうです。
中村: 当時の日本では全く考えられないことだったでしょうね。それで父は日本の障害者にも働く機会を与えようと、障害者の授産施設として「太陽の家」を創設し、企業と共同出資して会社をつくりました。
二宮: まさに「世に心身障害者はあっても仕事に障害はあり得ない」ですね。貧困層のための融資制度「マイクロクレジット」を提唱し、ノーベル平和賞を受賞した経済学者ムハマド・ユヌスは「返済が伴わない援助は人間の尊厳を傷つけ、人々の自助努力や自己責任を忘れさせる」と言っています。何かを施すのではなく、融資をし、仕事の機会を増やすことが大切なのではないでしょうか。
意欲こそが生きる目的に
中村: 障害者も全く同じですよ。保護ではなく、働く意欲が生きる目的になる。これこそが父の考えです。
二宮: 保護というのは聞こえはいいけれども、チャンスを与えないことに結び付いてしまう懸念があります。
伊藤: 障害者スポーツも同じことが言えると思います。例えばせっかく大会を開催しても関係者は普及活動よりも、とにかくその大会を無事に終わらせることに一生懸命なんです。これも一種の保護ではないでしょうか。
二宮: 失敗を恐れていては何も始まらないし、何も進歩はありません。失敗したら、反省をして次の対策を考えればいい。"中村イズム"とは、そういうことなのではないでしょうか......。
障害者とともに生きる社会へ
伊藤: 太陽の家は障害者スポーツの先進地であるからこそ、今後の取り組みにも注目が集まるところですね。
中村: 別府にはすでに障害者がスポーツをする土壌があり、また障害の有無に関係なく人々がともに暮らしています。この環境を活用して、総合型地域スポーツの確立を目指した取り組みを行なっています。我々の持っているスポーツ施設を拠点として、障害の有無や年齢に関係なく、交流できる場がつくりたいと考えています。
二宮: 誰もが利用できる総合型地域スポーツクラブの先進モデルにもなりそうですね。
中村: スポーツは地域住民同士が交流を図るための大変よいツールだと思うんです。ですから、日常的に誰でも通うことができ、楽しめるクラブづくりは障害者が地域社会と深くつながることに結びつく。まさに共に生きていく社会モデルになり得るのではないか、と期待しています。こうした新しい取り組みをこれからもどんどん行っていこうと考えています。
(おわり)
<中村太郎(なかむら・たろう)プロフィール>
1960年9月、大分県生まれ。日本の障害者スポーツの創始者・中村裕氏(故人)の長男。川崎医科大学卒業後、大分医科大学整形外科、九州労災病院整形外科を経て、2000年より医療法人社団恵愛会大分中村病院院長を務める。06年、社会福祉法人「太陽の家」理事長、翌年には大分中村病院理事長に就任した。医師の傍ら、障害者スポーツの普及にも尽力し、00年シドニー、04年アテネのパラリンピックでは日本選手団のチームドクターを務めた。
共同出資会社のほか、「太陽の家」周辺には障害者が働く場としてスーパーマーケットや銀行などがある。なかでもスーパーマーケット「サンストア」は最も古く、1977年にオープンした。97年には面積を拡大した新店舗がオープンし、青果や精肉など豊富な種類の食品が販売されている。店内は商品棚などが通常よりも低く設置されるなど、車いすの障害者が利用しやすい工夫が凝らされている。現在、従業員23人のうち、14人が障害者だ(2011年3月1日現在)。
また、「サンストア」の隣には大分銀行太陽の家支店がある。完全バリアフリー型店舗として80年にオープンし、昨年30周年を迎えた。引き戸やローカウンターなど車いすの障害者に配慮したつくりとなっているほか、言語障害者のためにコミュニケーター(窓口応対機)を導入。行員と話をすることなく、パソコンで入力した内容を印刷し、それを窓口に持っていけば要件を済ますことができる。現在、行員17人のうち、1人の障害者が働いている(2011年3月1日現在)。これらは障害者だけでなく、一般の地域住民も利用しており、まさに「ノーマライゼーション」実現の一翼を担っている。
(構成・斎藤寿子)