二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.05.26
第4回 次世代につなげたいアスリートの輪
~車椅子バスケットボールと共に~(4/4)
二宮: 現在、根木さんは大阪のチームでコーチングプレイヤーとして競技を続けています。普段はどんな仕事をされているんですか?
根木: 昨年からPwC(プライスウォーターハウスクーパース)のメンバーファーム あらた監査法人に籍をおいています。車椅子バスケットボールを通じて、社会貢献するというのが僕の役割で、講演やコーチングを業務として行っています。
二宮: 第一線を退いた選手の活動に理解を示してくれる企業は決して多くはありません。非常に画期的なことではないでしょうか。
根木: 本当にありがたいことだと思っています。僕がここでどんな活動をし、実績を残すかで次の世代の環境も変わってくる。それだけに責任は重大だなと思っています。
スポーツの価値に障壁はなし
二宮: 20歳から車椅子バスケットボールに携わってきた根木さんですが、日本の障害者スポーツにおける環境についてはどう感じていますか?
根木: 僕が車椅子バスケットボールを始めた頃と比べると、環境は非常に良くなってきています。特にここ近年は、自分たちの思いを発信するアスリートが増えてきました。メディアもパラリンピックを取り上げてくれるようになりましたし、障害者スポーツをスポーツとしてとらえようという動きが活発になってきている。そのこと自体が、昔とは全く違いますよね。
二宮: 根木さんが理事を務めている「アスリートネットワーク」にはオリンピアンや元Jリーガー、元大相撲力士と、幅広い競技のアスリートが集まっていますね。その中でパラリンピアンの根木さんが活動していることの意義は大きい。一つの枠にとどまらないことこそが、根木さんたち障害者スポーツ選手が望んでいることなのでは?
根木: はい、そうなんです。最初はテレビで見たことのある有名な選手の面々に、パラリンピアンとはいえ、果たして仲間として受け入れてもらえるのかなという不安はありました。ところが、最初の設立パーティーの時点で理事長の柳本晶一さんとすぐに打ち解けることができました。実際にメンバーと話をしてみると、僕たち障害者スポーツの選手を、みんな同じアスリートとして見てくれていることがわかったんです。オリンピック選手とも全く距離を感じずに接することができました。
二宮: 未だに日本では一般スポーツと障害者スポーツは、文部科学省と厚生労働省とに所管が分かれています。こうした役所の壁があっても、選手同士にはなかったと。
根木: はい。僕、僭越ながら設立パーティーの二次会で、みんなにこう言ったんです。「パラリンピックの選手は障害をもっていることで、さまざまな経験をしてきています。だからこそ、オリンピック選手にプラスアルファの強さがある。僕はメダルを獲ることはできませんでしたが、車椅子バスケットボールを通して、貴重なものを得ることができたと思っています」と。今考えると、なんて偉そうなことを言ってしまったんだと思いますけど......(笑)。でも、みんな「なるほど」って納得してくれました。同じスポーツをしているアスリートとして認めてくれているんだなと感じましたね。こうした輪がもっと広がっていくことができればいいですね。僕自身、少しでも貢献できるような活動をしていきたいと思っています。
(おわり)
<根木慎志(ねぎ・しんじ)プロフィール>
1964年9月28日、岡山県生まれ。高校時代はサッカー部に所属していた。高3の冬、交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。知人からの誘いで車椅子バスケットボールを始め、日本代表候補になるまでに成長した。96年のアトランタパラリンピックでは最終選考で落選したが、4年後のシドニーパラリンピックでは念願の初出場を果たし、主将としてチームを牽引した。現在は所属する「B-spirits」(大阪)でコーチングプレイヤーを務める。PwC(プライスウォーターハウスクーパース)のメンバーファームであるあらた監査法人に勤めながら、日本パラリンピアンズ協会副会長、アスリートネットワーク理事など、幅広く活躍している。
(構成・斎藤寿子)
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