二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.06.02
第1回 悔しさから始めた陸上
~注目!世界の頂に最も近い日本人ジャンパー~(1/5)
2007年、初めて出場したレースで100メートルの日本記録を樹立し、障害者アスリートとして鮮烈なデビューを果たしたのが中西麻耶選手だ。その1年後、彼女は北京パラリンピックで100メートル6位、200メートル4位と、義足スプリンターとしては日本人女子初の入賞を果たした。にもかかわらず、彼女はその成績に満足するどころか、「井の中の蛙だった」と自己嫌悪に陥ったという。さらなる飛躍を求め、翌年から米国でのトレーニングを開始した。そこで出会ったのがロサンゼルス五輪・三段跳金メダリストのアル・ジョイナーだ。名選手の指導を受け、中西選手はジャンパーとしての素質を開花させた。そして今、幅跳びでの世界記録を目指している。陸上に全てをかけ、ストイックに世界の頂点を追い求める中西選手に二宮清純が迫る。
二宮: 日本の身体障害者陸上界では、同じ障害のクラスで短距離でも幅跳びでも中西選手の右に出る者はいません。陸上を始めてまだ4年というから驚きです。
中西: 中学からソフトテニスをしていたのですが、2008年の大分国体を目指していた06年に、勤務していた塗装業の建設現場で事故に遭い、右足のひざ下を切断しました。大分国体を最後に選手としては引退しようと思っていたので、義足でもソフトテニスを続けるつもりだったんです。ところが、最初はテニスどころか、一歩足を踏み出すことさえもできなかった。悔しい思いでいっぱいになっていた時に、知人から誘われて観に行ったのが身体障害者の陸上大会だったんです。そこでは同じ障害を持った人が、ものすごく気持ちよさそうに走っていました。私は歩くことさえもままならないのに......。そこで、また悔しさがこみ上げてきたんです。「この人たちよりも速く走りたい」と。それで走り始めたのがきっかけでした。
二宮: もともとスポーツが好きだったんですね。
中西: 好きというよりも、スポーツしかできないようなタイプでした(笑)。嫌いな勉強をしたくないこともあって、「私はスポーツで生きていくんだ」と(笑)。
切断に踏み切ったテニスへの思い
二宮: 高校卒業後、塗装屋さんに就職したのはなぜでしょう?
中西: 社会人になってもテニスを続けたかったのですが、硬式と違って、ソフトテニスはプロもなく、実業団も数社しかないようなマイナー競技なんです。それでも「もっと真剣にテニスをやりたい」という気持ちがあったので、仕事をしながら続けようと。ところが、現実は厳しかったですね。仕事をしていると、なかなかテニスの時間が割けない。筋力トレーニングの時間もままならなかったんです。それで力仕事だったら、それ自体が筋トレになると思って、友人の父親が経営している鉄骨塗装の会社に就職しました。
二宮: そこで事故に遭ってしまった......。その時のことは覚えていますか?
中西: 並べてあった鉄骨が荷崩れをして、ドミノ倒しのように倒れてきたんです。すぐそばで作業をしていたのですが、溶接などの音で全く気が付きませんでした。そのうちドドドドッという音が聞こえたんです。「あれ!?」と思った瞬間に、右足が鉄骨の下敷きに......。「ヤバい!」と思う瞬間もないほど、あっという間の出来事でした。
二宮: 痛みを感じる間もなかった?
中西: はい。「痛い」と思ったのは一瞬で、あとは何も感覚がありませんでした。最初は近くの病院に連れて行ってもらったのですが、結局そこでは治療は無理だと言われたんです。その時点で「あぁ、もしかしたら切断かな」と覚悟しましたね。次に「太陽の家」の中村病院に連れて行かれて、切断をするか、あるいは時間がかかっても神経をつなぐかの選択を迫られたんです。
二宮: 両親の反対を押し切って、自ら切断を選択したそうですね。
中西: はい。迷いは全くありませんでした。というのも、08年の大分国体で現役を引退するつもりでしたから、とにかく早くコートに戻りたかった。聞けば、神経をつなぐのに2年はかかると。しかも、うまくつながったとしても、元のように自分の体重に100%耐えるのはおそらく無理だろうと言われたんです。だったら、もう切断でお願いします、と。「こんなことで選手生命が終わってたまるか!」という気持ちだったんですよ。当時の私にとって、テニスが人生の全てでしたから。
(第2回につづく)
<中西麻耶(なかにし・まや)プロフィール>
1985年6月3日、大分県生まれ。高校時代はソフトテニスでインターハイに出場。卒業後、08年大分国体を目指したが、仕事中の事故でひざ下を切断した。07年から陸上を始め、翌年の北京パラリンピックでは100メートル6位、200メートル4位入賞を果たした。現在は練習拠点を米国に移し、ロサンゼルス五輪・三段跳金メダリストのアル・ジョイナーから幅跳びの指導を受け、世界記録(5m09)更新を目指している。世界ランキングは100メートル(13秒84)8位、200メートル(28秒52)6位、幅跳び(4m96)4位(いずれも日本記録)(2011年5月現在)。
(構成・斎藤寿子)
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