二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.07.07
第1回 絶望から希望へ――車椅子バスケとの出合い
~"バスケバカ"の人生~(1/4)
バスケットボールを夢中で追いかけていた高校1年の冬、及川晋平の右ヒザを激痛が襲った。診断の結果は「骨肉腫」。骨のガンだ。「早くコートに戻りたい」。そんな及川の願いは次第に打ち砕かれていった。腫瘍ができたヒザ関節を取り除き、人工関節に置き換える人工関節置換術を試みたものの、腫瘍は左肺に転移。「命には代えられない」と、右足切断を余儀なくされた。「もうバスケットはできない......」。及川は深く落ち込んだ。その4年後、及川の姿はコートにあった。「車椅子バスケットボール」と出合った彼は、再びバスケットマンとしての人生を歩み始めたのだ。2000年にはシドニーパラリンピックにも出場した。現在はプレーヤーから指導者へ軸を移しつつある。そんな及川に車椅子バスケの魅力、自身の米国留学経験を踏まえた選手育成について二宮清純が訊いた。
二宮: 車椅子バスケットボールを始めたきっかけは何だったのでしょう?
及川: もともと僕はバスケットボールが大好きで、高校もバスケットをやるために入ったようなものだったんです。特別に身長が高かったわけでもないのですが、とにかくバスケットが好きだった。いわゆる"バスケバカ"だったんですよ(笑)。ところが、高校1年の冬に骨肉腫という病気になって、右足を切断したんです。それで義足になったので一度はバスケットを諦めました。でも、たまたま僕がバスケットをやっていたことを知った地元の車椅子バスケットボールチーム「千葉ホークス」のキャプテンが誘いに来てくれたんです。それがきっかけでしたね。
二宮: 骨肉腫が発覚したきっかけは?
及川: 高校1年の冬、正月休みが終わって練習を再開した時に、ランニングシュートをしたら足が痛くて跳べなかったんです。それでも我慢してやっていたんですけど、どんどん痛みが激しくなっていって......。最初は肉離れかなと思っていました。だから「オレもアスリートだな」なんて嬉しがっていたところもあったんです。でも、最後は夜、眠れないくらいの激痛でした。さすがにこれは医者に診てもらわなければいけないと。
バスケ人生の再開
二宮: 診断結果を聞いたときは、ショックだったでしょうね。
及川: 最初は骨肉腫がどういう病気かわからなかったので、「とにかく早くコートに戻らなくちゃ」という思いしかなかったですね。その頃は当然のように、復帰する気でいました。
二宮: それが、まさか切断にまで至るとは......。
及川: はい、そうなんです。千葉県のがんセンターに移って、まずは人工関節置換術という手術をしました。足を切断することは避けたかったですからね。ヒザの関節を取り除き、チタンでできた人工関節を埋め込んだんです。ところが、腫瘍が肺にまで転移していることがわかって、これでは命が危ないということで右足を切断せざるを得なくなってしまった。それでも足首は生きていたので、足首の関節をヒザの関節に代用するという「ローテーション」手術を行ないました。これだと自分の意識でヒザを動かすことができるので、義足で歩く時も安定しますし、動きやすいんです。
二宮: 退院するまでにはどのくらいかかったんでしょうか?
及川: 足かけ5年くらい入院していましたね。右足を切断してからも右と左、1度ずつ肺に転移しているんです。もう抗がん剤も使えないくらい白血球が下がって、これ以上治療はできないと。ひとまず病気が進行している様子も見られないから、という理由で退院したんです。正直、また再発したら死ぬかもしれないという思いは常にありましたね。
二宮: そんなどん底の頃に車椅子バスケットと出合うわけですね。
及川: はい。正直、最初は乗り気ではなかったんです。僕はずっと一流プレーヤーを目指していましたから、「障害者スポーツの車椅子バスケットなんか、やってられるか!」と。ところが、初めて見た時にバスケットの面白さ、ボールを持つ感触が一気に甦ってきたんです。それで、「よし、やってみよう」と。
二宮: しかし、いくらバスケットをやっていたとはいえ、車椅子は初心者。操作できるようになるには時間がかかったでしょう?
及川: そうなんです。練習でも一番遅くて......。それが嫌で嫌でたまらなかった。だからチームの練習後、公園とかで一人で車椅子で走っていましたよ。とにかくスピードだけは負けないようにしようと思ったんです。
(第2回につづく)
<及川晋平(おいかわ・しんぺい)プロフィール>
1971年4月20日、千葉県生まれ。高校1年の冬、骨肉腫で右足を切断。1993年に千葉ホークスに入り、車椅子バスケットボールを始める。翌年、米国に留学。シアトルスーパーソニックス、フレズノレッドローラーズでプレーする。2000年にはシドニーパラリンピックに出場した。02年、車椅子バスケットボールチーム「NO EXCUSE」を立ち上げ、現在はコーチングプレーヤーとして活躍。広州2010アジアパラ競技大会では男子車椅子バスケットボール日本代表アシスタントコーチを務めた。01年から車椅子バスケットボールキャンプを主催。現在はNPO法人「Jキャンプ」で若手育成にも注力している。PwC(プライスウォーターハウスクーパース)のメンバーファームであるあらた監査法人に勤務。
(構成・斎藤寿子)
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