二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.07.21
第3回 障害への理解あってこその指導
~"バスケバカ"の人生~(3/4)
二宮: NPO法人「Jキャンプ」では車椅子バスケットボールキャンプを開催しているそうですね。
及川: はい。年に1度、全国から若い世代の車椅子バスケットボールプレーヤーが集まって3日間、車椅子バスケットのベーシックを学ぶんです。1対1、2対2、3対3といった基本的な戦術を一つ一つ、その仕組みから伝えています。
二宮: 日本では車椅子バスケットを受け入れてくれる施設は少ない。キャンプの開催場所を確保するのも一苦労なのでは?
及川: はい、そうなんです。3日間、車椅子バスケットの選手が50~60人も寝泊りできて、なおかつ車椅子バスケットができる体育館も用意しなければいけないので、毎回、交渉には苦労していますね。これまで札幌、福島、山口、大阪、茨城で開催してきました。現在は茨城県立医療大学がこの取り組みに理解を示してくれていて、2009年からは、会場を提供してくれたり、学生ボランティアを手配してくれています。ようやく拠点となるところが確立されたかなという感じですね。
二宮: 何事も継続することが大事です。その意味でも拠点ができたのは大きいですね。
及川: そうですね。キャンプに参加した選手層が増えてくると、日本としてのベースが確立してきますからね。2001年から続けてきましたが、今では日本代表の主力はほとんどキャンプ経験者が占めるようになってきたのは一つの成果かなと思っています。
秘められた可能性への挑戦
二宮: キャンプは及川さん自身がイリノイ大学で学んだことを基に行なわれている。その具体的なコンセプトとは?
及川: 車椅子バスケットは「車椅子」「バスケット」「障害」の3つをかけ合わせたものなんです。なかでも最も重要なのは障害をどうとらえてプレーするかということ。ここが一般のバスケットとは最も違うところであり、指導の一番難しいところでもあるんです。
二宮: 各選手の障害の程度に合わせた指導が必要だと?
及川: はい。例えば、脊髄損傷の選手に「なんで、こんな簡単なランニングショットが入らないんだ?」と単に怒っても、何の解決にもならない。逆に、それは脊髄損傷の選手でもできるやり方を教えなかった指導者の責任なんです。つまり、「みんなこうあるべきだ」というセオリーを押し付けるのではなく、各選手の障害を理解したうえで、車椅子バスケットというスポーツを使って、個々の可能性を最大限に伸ばす。その部分を一番重要視していますね。
二宮: どの選手にも可能性は秘められていると。
及川: それぞれの可能性があると思っています。そもそも、障害を受け入れるということはそう簡単なことではありません。皆、それぞれ難しい問題に否が応でも直面してきたと思います。今でも全員が障害をもったことを本当に受け入れ、乗り越えられているかどうかはわかりません。しかし、障害を抱えながら今まで生きてきた、というのは単純な事実としてあるわけです。その力というのは本当に大きいものなんですね。障害を抱えながらここまで生きてきた、その力が全員にある。だったら、それをスポーツに活かしてほしいなと。それをそれぞれの個性の中から引き出すのが我々、指導者の役割だと思っています。
(第4回につづく)
<及川晋平(おいかわ・しんぺい)プロフィール>
1971年4月20日、千葉県生まれ。高校1年の冬、骨肉腫で右足を切断。1993年に千葉ホークスに入り、車椅子バスケットボールを始める。翌年、米国に留学。シアトルスーパーソニックス、フレズノレッドローラーズでプレーする。2000年にはシドニーパラリンピックに出場した。02年、車椅子バスケットボールチーム「NO EXCUSE」を立ち上げ、現在はコーチングプレーヤーとして活躍。広州2010アジアパラ競技大会では男子車椅子バスケットボール日本代表アシスタントコーチを務めた。01年から車椅子バスケットボールキャンプを主催。現在はNPO法人「Jキャンプ」で若手育成にも注力している。PwC(プライスウォーターハウスクーパース)のメンバーファームであるあらた監査法人に勤務。
(構成・斎藤寿子)
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