二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.09.15
第3回 海外の技術革新を刺激に
~義肢装具士が語るスポーツのススメ~(3/5)
二宮: 臼井さんはパラリンピックには2000年シドニー、04年アテネ、08年北京と、3大会連続で日本代表チームに帯同されています。
臼井: シドニー大会では私が勤めている財団法人鉄道弘済会「義肢装具サポートセンター」が全面的にバックアップしてくれたおかげで、鈴木徹くん(走り高跳び)と一緒に行くことができました。鈴木くんは「ヘルス・エンジェルス」出身のパラリンピアンとしては第1号の選手でしたから、私としても帯同することができて、非常にありがたかったですね。
二宮: 4年後のアテネには日本人女子の義足選手としては初めて佐藤真海選手がパラリンピックに出場しました。彼女も「ヘルス・エンジェルス」での練習会で競技をスタートさせた一人ですね。
臼井: はい、そうです。佐藤さんをはじめ、アテネ大会では義足選手が随分と増えました。そこで日本パラリンピック委員会(JPC)から日本選手団のメカニックとして行きました。鈴木くんはシドニーに続いて2大会連続で入賞、佐藤さんはファイナル進出こそ逃したものの自己記録を更新してくれました。2人の活躍を間近で見ることができて、本当に嬉しかったです。アテネ大会に続いて北京大会にも日本選手団のメカニックとして帯同しました。この大会では初出場の中西麻耶さんが100メートルで6位、200メートルで4位入賞。本人はメダルを逃して悔しがっていましたが、私は「よくやったな」という思いでいっぱいでしたよ。
二宮: 来年にはロンドンパラリンピックが開催されます。このところのパラリンピックの発展は目を見張るばかりです。
臼井: 確かに目覚ましい進歩を遂げていると思いますね。現に韓国・大邱で行なわれた世界選手権に義足ランナーのオスカー・ピストリウス(南アフリカ)が出場したわけですから。時代はそこまできたんだなと。義足の性能ばかりが注目されがちですが、選手自体の身体やパフォーマンスにこそ、大きな進歩を感じます。海外の選手を見ていると、日本選手も負けられないなという気持ちにさせられますよ。
日本製義足は繊細さがウリ!
二宮: 世界の舞台は義肢装具士の臼井さんにとっても、得るものがたくさんあったのでは?
臼井: はい、そうなんです。海外のメーカーがつくっている義足を間近で見ることができるチャンスはそうありませんからね。写真を撮るふりをして、細かいところを見たりしましたよ(笑)。アップグラウンドでは選手にも話しかけることができるので、いろいろと勉強することができました。
二宮: 臼井さんがスポーツ義足の開発を始めてから約四半世紀が経ちます。今、日本製のスポーツ義足は海外と比べるとどうなんでしょうか?
臼井: 日本のスポーツ義足は高いレベルにあると思います。それでいて、アメリカ製やドイツ製ほど値段も高くありませんから、例えば東南アジアの選手には日本製のスポーツ義足を愛用している人も少なくありません。
二宮: 日本人の繊細さや器用さが高い技術を生み出しているんでしょうか?
臼井: はい、そうですね。アメリカ製の義足を見ると、丈夫なんでしょうけど、細かいところで「大胆なつくりをしているなぁ」なんて思うこともありますからね(笑)。民族性があるのかもしれませんが、日本製は細部まで丁寧につくられていますよ。
(第4回につづく)
<臼井二美男(うすい・ふみお)プロフィール>
1955年、群馬県生まれ。義肢研究員・義肢装具士。28歳で財団法人鉄道弘済会「義肢装具サポートセンター」に就職し、義肢装具士としての道を歩む。1991年、切断者スポーツクラブ「ヘルス・エンジェルス」を設立。月に一度、東京都障害者総合スポーツセンター(北区)で練習会を開催し、「義足で走る」ことを指導している。鈴木徹(走り高跳び)や佐藤真海(走り幅跳び)、中西麻耶(走り幅跳び・短距離)といったパラリンピアンに競技のきっかけを与えた人物でもある。
(構成・斎藤寿子)
☆プレゼントのお知らせ☆ 臼井二美男さんのサイン色紙を読者2名様にプレゼント致します。メールの件名に「臼井さんのサイン色紙希望」と明記の上、本文に郵便番号・住所・お名前・電話番号、このコーナーへの感想をお書き添えいただき、こちらからお申し込みください。応募者多数の場合は抽選とし、当選の発表は発送をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。(締め切り9/30) |