二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.09.22
第4回 走ることから広がる無限の可能性
~義肢装具士が語るスポーツのススメ~(4/5)
二宮: 「ヘルス・エンジェルス」ではどんな活動をされているのですか?
臼井: 月に1度、東京都障害者総合スポーツセンターの競技場で練習会を行なっています。
二宮: 主な目的とは?
臼井: 義足をつけ始めたばかりの頃は、義足に体重をドンと乗せると痛いんじゃないかって怖がる人が多いんですね。それに筋力がないために、なかなかうまく体重を乗せることができないんです。だから、スキップみたいな走り方になってしまうんです。
二宮: つまり、健足側に頼ってしまうと?
臼井: はい。体重のかけ方が健足側に7、義足側に3というような割合になってしまうんです。そこでどちらの足にもきちんと体重をかけて走れるようにしよう、というのが練習会では最初の目標になります。
二宮: 走れるようになると、気持ちが明るくなって、大きな自信となるでしょうね。
臼井: そうですね。なかには「切断した時に、もう走れないと覚悟した。それが義足で走れるようになるなんて......」と泣いて喜ぶ人もいます。
二宮: 行動範囲も広がるでしょうね。
臼井: はい、そうなんです。走れるようになると、野球やサッカーなどのスポーツにも挑戦できるようになりますからね。また、「子どもの運動会に出られる!」と言う人もいましたよ。そうそう、クラブ出身者で義足で槍ヶ岳への登頂に成功した人もいましたね。
二宮: それはすごい! 槍ヶ岳といったら標高3000メートル以上もある日本で5番目に高い山。そこを義足で登り切ったんですか!?
臼井: はい。同じ片足切断でも、残っている足の長さによって、義足の優位性は異なるんです。残っている部分が長ければ長いほど有利なんですね。ですから、ヒザ下切断よりもヒザ上切断の方が義足を扱うのは難しくなる。槍ヶ岳を制覇した彼は、ヒザ上切断。相当な努力が必要だったと思いますよ。
望まれる全国的な指導体制
二宮: 「ヘルス・エンジェルス」の存在は多くの人の可能性を広げているんですね。
臼井: でも、国内ではまだまだ義足で走れるように指導できる人が少ないんです。大会に行くと、ほとんどが「ヘルス・エンジェルス」の選手であることもしばしばなんです。関東近郊の人は練習会に参加できますが、地方の人はそうはいきませんからね。
二宮: 義肢装具士はいても、指導者の数が不足しているということですね。
臼井: はい、そうです。病院では基本的に歩けるようになるところでリハビリを終えてしまいます。走りたくても、指導者がいなければ一人では無理です。
二宮: 全国には走りたくても、どうやって走っていいかわからず、スポーツすることを諦めている人も少なくないのでしょうね。
臼井: その通りです。スポーツは人の心を明るくし、人生を豊かにしてくれます。ですから特定の地域だけでなく、全国各地でスポーツができるサポート体制を構築することが望まれます。
(第5回につづく)
<臼井二美男(うすい・ふみお)プロフィール>
1955年、群馬県生まれ。義肢研究員・義肢装具士。28歳で財団法人鉄道弘済会「義肢装具サポートセンター」に就職し、義肢装具士としての道を歩む。1991年、切断者スポーツクラブ「ヘルス・エンジェルス」を設立。月に一度、東京都障害者総合スポーツセンター(北区)で練習会を開催し、「義足で走る」ことを指導している。鈴木徹(走り高跳び)や佐藤真海(走り幅跳び)、中西麻耶(走り幅跳び・短距離)といったパラリンピアンに競技のきっかけを与えた人物でもある。
(構成・斎藤寿子)
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