二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2012.07.19
第3回 車椅子バスケット革命
~世界ベスト4へ"ハヤテジャパン"~(3/4)
二宮: 岩佐ヘッドコーチが車椅子バスケットボールに関わるきっかけは何だったのでしょう?
岩佐: 私自身、中学1年から大学までバスケット部でプレーしていたのですが、卒業後、宮城県の外郭団体職員として県内のスポーツ施設で働き始めました。その最初の勤務地となったのが障害者体育施設だったんです。そこで初めて車椅子バスケットを知り、指導することになったのがきっかけでした。それから片足どころか、両足どっぷりつかってしまいました(笑)。
二宮: 一般のバスケットと車椅子バスケットでは、同じ「バスケット」でも似て非なるものです。最初はとまどいもあったのでは?
岩佐: ありましたね。私自身、ずっとバスケットをやってきましたから、すごく興味が湧きましたし、プレーを見て「すごいな」と思ったんです。ただ、私が経験してきたバスケットとは、やはり違うなという印象がありました。一番はスピード感ですね。当時の車椅子バスケットは、本当にゆっくりと一つひとつ丁寧に点数を取っていく感じでした。ですから、バスケットでは70点、80点というスコアが当たり前の中、その頃の車椅子バスケットのスコアは30点、40点というロースコアでの争いだったんです。
二宮: そこで、「アーリーオフェンス」を取り入れたと?
岩佐: はい、そうです。当時は「車椅子バスケットには絶対無理だ」という意見が少なくなかったのですが、それでも私は車椅子バスケットで、自分が学んできたバスケットをしたいと思ったんです。
二宮: それまで自分たちがしてきたバスケットとは違うものを取り入れることに対して、選手たちには戸惑いもあったのでは?
岩佐: もともと障害を負う前にバスケット経験があるような選手は、私の考えをすぐにわかってくれたと思います。でも、先天性の障害をもつ選手たちはスポーツ経験がほとんどありません。ですから、とことん選手たちと話をしましたね。
二宮: その過程で、ご苦労もあったのでは?
岩佐: はい。私も車椅子の経験がなかったものですから、選手から古いものを譲り受けて、それに乗って一緒にトレーニングをしました。どれだけ車椅子でバスケットをすることが大変かを痛感しましたよ。スリーポイントはもちろん、最初はフリースローさえもゴールネットまでボールが届きませんでした。もう腕の疲労感は「パンパンに張る」どころの話ではありませんでしたよ(笑)。でも、そうやって一緒にトレーニングをして、バスケットを楽しむうちに、選手たちの方が私が学んできたバスケットを教えてもらいたいと望むような感じになっていきましたね。
震災を乗り越えた先の強さ
二宮: 今や日本一のチームとなった「宮城MAX」ですが、昨年3月の東日本大震災では、大きな被害を受けました。岩佐さんのご自宅は津波で流されてしまったそうですね。
岩佐: 当時の自宅は海岸から1.5キロくらいの山元町という所にありまして、私が仙台市内の勤務先から戻ってきた時には、全て流されてコンクリートの土台部分しかありませんでした。
二宮: しばらくはバスケットどころではなかったのでは?
岩佐: 1カ月半くらいは、バスケットを考える余裕はありませんでした。ようやくチームの練習を再開したのは4月25日あたりだったと思います。宮城県内の施設は避難所などになって使えませんでしたから、1カ月ほどは週に1度、車で山形まで行っていました。
二宮: 震災以降、何か選手たちに変化はありましたか?
岩佐: 選手は間違いなく精神的に強くなりましたね。練習への取り組み方から違いますから。
二宮: バスケットができる幸せを感じたんでしょうね。
岩佐: そうなんです。私も選手も、バスケットができることがどんなにありがたいのかを改めて感じさせられました。実は「宮城MAX」は震災後、一度も負けていないんです。苦しみながらも全国規模の大会では全て優勝しています。それと、日本代表チームのアシスタントコーチでもある及川晋平率いる「NO EXCUSE」が、震災後も遠慮することなく、「宮城MAX」に挑んできてくれました。それが、とても嬉しかった。震災でさまざまなことを経験し、少し沈みかけていた私を奮起させてくれたんです。「宮城MAX」の勢いが日本代表にもいい影響を与えていると思いますので、ぜひロンドンまでつなげていきたいと思います。
(第4回につづく)
<岩佐義明(いわさ・よしあき)プロフィール>
1958年1月6日、宮城県生まれ。大学までバスケットボール選手として活躍した。卒業後、宮城県の外郭団体職員として勤務。1989年、「宮城クラブ」を前身とした「宮城MAX」発足当初からヘッドコーチを務める。今年の日本選手権ではチームを4連覇に導いた。2008年北京パラリンピックでは女子日本代表を指揮し、ベスト4入り。09年、男子日本代表ヘッドコーチに就任。ロンドンパラリンピックでは女子に続いて初のベスト4進出を目指す。
宮城MAX http://miyagimax.com/
(構成・斎藤寿子)
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