二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2013.02.07
第1回 100分の1秒の争い
~高まるパラリンピックの存在価値~(1/4)
アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場し、計5個(金1、銀1、銅3)のメダルを獲得した競泳日本代表の鈴木孝幸選手。北京、ロンドンでは競泳チームのキャプテンも務めた。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致ではアンバサダーに抜擢され、今年1月には国際オリンピック委員会、国際パラリンピック委員会に立候補ファイルを提出し、東京開催をアピールした。今や日本を代表するパラリンピアンである鈴木選手だが、中学まではパラリンピックに関心がなかったという。果たして、彼の意識を変えたきっかけとは何だったのか。また、2020年大会の東京開催への思いとは――。
二宮: ロンドンパラリンピックから約5カ月が経ちました。現在はどんな心境ですか?
鈴木: ロンドンが終わって休んでいたのですが、またトレーニングを再開したところです。次のリオデジャネイロに向けてというよりは、そのことも少し頭に置きながら、まずは1年1年しっかりとやっていこうという気持ちでいます。その結果としてリオデジャネイロに出場できたらなと思っています。
二宮: 3大会目となったロンドンでは、50メートル平泳ぎと150メートル個人メドレーで銅メダルを獲得しました。振り返っていかがですか?
鈴木: スタートからフィニッシュのタッチまで、イメージしていた通りの泳ぎができました。そういう意味では、やり残した感はなく、すべてを出し切ったと言えるレースでした。ただ、平泳ぎは北京に続いての連覇を狙っていましたし、個人メドレーは北京の銅以上を目標にしていましたから、結果としては悔しさが残りましたね。
二宮: 得意の平泳ぎは、ゴールの際、トップ3人が並んでいましたからね。本当にわずかな差でメダルの色が決まりました。
鈴木: 金メダルの選手とは0.26秒差、銀メダルの選手とは0.08秒差でした。ただ、メダルには届いたので、まだ良かったかなと。ほんのわずかな差でメダルをもらう、もらわないということになっていれば、もっと悔しかったでしょうね。
二宮: 平泳ぎで連覇を達成できなかった要因はどこにあったのでしょう?
鈴木: タイムを伸ばそうと、ロンドンの1年前からフォームの変更に着手したのですが、そのフォームを自分の体にしみこませるのに、予想以上に時間がかかってしまいました。これまでは無意識に泳いでいたものが、フォームを替えることによって意識と体のズレが生じてきてしまったんです。これを修正するのに、ロンドン前は本当に苦労しました。
重要な左右のバランス
二宮: それにしても、相当なトレーニングを重ねているんでしょうね。見た目にも分厚い体です。
鈴木: アテネの頃から比べると、実際に体重も増えていますし、だいぶ筋力がついてきたかなと思いますね。自分で写真を見ただけでも、その違いを感じます。
二宮: 全身を使う水泳では、全体的にバランスよく鍛えることが大事なんでしょうね。
鈴木: そうですね。特に僕は手も足も左右の長さが違うので、バランスは非常に重要になってきます。例えば左手が長い場合、足は右が長いというふうに対角になっていれば、まだバランスをとりやすいんです。そういうライバル選手は羨ましいなと思ってしまいますね。ところが、僕は手も足も左の方が長い。そうすると、どうしても左側に力が寄ってしまいます。そうならないように、短い方の右側をきちんと鍛えるようにして、左右の差が出ないように心がけています。
(第2回につづく)
<鈴木孝幸(すずき・たかゆき)プロフィール>
1987年1月23日、静岡県生まれ。先天性四肢欠損。5歳から水泳を始め、小学校時代は水泳教室に通う。中学時代は吹奏楽部に所属するも、高校から水泳を再開。3年時にはアテネパラリンピックに出場し、メドレーリレーで銀メダルを獲得。早稲田大学に進学し、4年時に出場した北京パラリンピックでは、50メートル平泳ぎ(運動機能障害)で金メダルに輝いた。卒業後、ゴールドウィンに入社。昨年、ロンドンパラリンピックに出場し、50メートル平泳ぎと150メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。50メートル平泳ぎの世界記録保持者。
株式会社ゴールドウイン http://www.goldwin.co.jp/
(構成・斎藤寿子)
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