二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2013.02.21
第3回 挑戦者から追われる立場へ
~高まるパラリンピックの存在価値~(3/4)
二宮: 大学4年の時に北京パラリンピックに出場し、アテネでは出場しなかった50メートル平泳ぎでは、予選で世界新記録を樹立し、金メダルに輝きました。平泳ぎが得意種目となったきっかけは?
鈴木: アテネ大会の時、個人メドレーの練習をしていたら、平泳ぎのタイムがどんどん伸びていったんです。それで大学入学後、コーチが替わってから北京では平泳ぎをメインでやっていこうとシフトしたんです。北京前には世界選手権で表彰台に上がれるようになっていたので、アテネではかなわなかった個人種目でのメダルが視界に入ってきたかなという手応えを感じて北京入りしました。
二宮: 競泳チームのキャプテンでもありましたから、世界新と金メダルは他の選手にもいい影響を与えたでしょうね。
鈴木: 北京の時はアテネの時とは違って、はっきりとメダルを狙ってはいましたが、それでもチャレンジャーでしたから、怖いもの知らずでいけたことが良かったのだと思います。結果的に150メートル個人メドレーでも銅メダルが獲れましたし、100メートル自由形でも7位に入賞することができましたから、すごくいい大会になりました。
二宮: ディフェンディングチャンピオンとして臨んだロンドンはいかがでしたか?
鈴木: チャンピオンということが知らず知らずのうちにプレッシャーになっていたように思います。もちろん自分自身も連覇を狙っていましたが、周囲からも求められる立場としての難しさがありましたね。
二宮: 追う立場から追われる立場になったと?
鈴木: はい。ですから、オリンピックでもパラリンピックでも、2連覇、3連覇した選手のすごさを改めて痛感しました。
雑音をモノともしない集中力
二宮: ロンドンの競泳会場は、午前の予選から超満員でしたね。会場の雰囲気はアテネや北京とは違いましたか?
鈴木: アテネは初めてのパラリンピックで緊張していたこともあり、あまり覚えていないんです。でも、北京と比べると、ロンドンは観客の応援マナーが良かったという印象があります。選手が入場したり、結果が出ると、大歓声が沸き上がるのですが、スタートの時には静まり返るんです。すごくメリハリがありましたね。それと、自国以外の選手にも声援や拍手を送ってくれて、全選手が集中してレースに臨める環境を整えてくれました。
二宮: スタートの時に、周りから雑音が入ってくると、集中力が切れたりしませんか?
鈴木: 選手によってはそういうこともあると聞きますが、僕はプールサイドに立った時には、既に集中しているので、ほとんど周りの音は聞こえなくなってしまうんです。北京の時は自国選手への声援がすごかったようですが、僕はあまり気にはならなかったですね。
二宮: 相当な集中力なんですね。
鈴木: それほど、必死だったということかもしれません(笑)。
二宮: その高い集中力が金メダルにつながったわけですね。
鈴木: アテネではかなわなかった個人種目でのメダル、それも金メダルでしたから、本当に嬉しかったです。
(第4回につづく)
<鈴木孝幸(すずき・たかゆき)プロフィール>
1987年1月23日、静岡県生まれ。先天性四肢欠損。5歳から水泳を始め、小学校時代は水泳教室に通う。中学時代は吹奏楽部に所属するも、高校から水泳を再開。3年時にはアテネパラリンピックに出場し、メドレーリレーで銀メダルを獲得。早稲田大学に進学し、4年時に出場した北京パラリンピックでは、50メートル平泳ぎ(運動機能障害)で金メダルに輝いた。卒業後、ゴールドウィンに入社。昨年、ロンドンパラリンピックに出場し、50メートル平泳ぎと150メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。50メートル平泳ぎの世界記録保持者。
株式会社ゴールドウイン http://www.goldwin.co.jp/
(構成・斎藤寿子)
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