二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2013.04.04
第3回 パラリンピックのレガシー
~東京がロンドンから学ぶこと~(3/4)
二宮: 佐藤さんが初めて出場したパラリンピックは2004年のアテネ大会でした。走り幅跳びを始めて約1年という速さで最高の舞台に立ったわけですが、いかがでしたか?
佐藤: 国際大会自体、アテネパラリンピックが初めてだったんです。それこそ、大人の世界に子どもが一人入ったようなものでしたね(笑)。当時の自己ベストは出したものの、優勝した選手が5メートル台を跳んだなか、私は4メートル弱でしたから。実はその頃もまだ、内心では義足になったことを引きずっていたんです。ところが、パラリンピックで世界のトップ選手を間近で見て、その輝いている姿に圧倒されました。「この人たちのように、私も義足のことをちゃんと受け止めて、限界をつくらずに前へ進む人生にしたい」と思ったんです。日本に帰国後、それまでの自分とは気持ちの部分でまったく違っていましたね。
二宮: パラリンピックはエネルギーに満ち溢れている世界だったと?
佐藤: はい。そういう世界を早い時期に知ることができたことが、その後の自分にはとても大きかったと思います。
二宮: 競技への思いも強くなりましたか?
佐藤: はい。アテネで競技を終えたその場で、すぐに4年後の北京を目指そうと思いました。でも、実際はそう簡単ではありませんでした。
二宮: 会社勤めをしながら、練習もしなければならないわけですから、大変だったでしょうね。
佐藤: アテネ大会の年に大学を卒業し、サントリーに入社したのですが、そもそもアスリートとしての採用ではなく、一般で入ったんです。アテネから帰国後、まだ1年目でしたから仕事をきちんと覚えたいという思いもありましたし、一方で世界にチャレンジするということも諦めたくないという思いが募っていて......。正直、1年目はどちらも中途半端にしてしまいましたね。これではいけないと、いろいろと考えた結果、やっぱり今しか追えない夢を全力で追いたい、と思ったんです。それで会社と時間をかけて話し合いをして、勤務時間と費用面でサポートしてもらえることになったんです。
二宮: 会社のサポートが、北京、ロンドンにつながったと。
佐藤: はい、その通りです。非常に感謝しています。
英国の障害者スポーツ事情
二宮: 日本でも障害者がスポーツを楽しむ環境が以前よりはだいぶ良くなってきました。佐藤さんのように、企業のサポートを受けて競技活動を続けている選手も増えています。とはいえ、障害者スポーツにおける環境は、まだ十分とは言えません。佐藤さんはロンドンパラリンピック後、再び英国を訪れて、障害者スポーツの実態を見てこられたそうですね。いかがでしたか?
佐藤: 改めて「英国ってすごいな」と思いましたね。パラリンピック後も、各地域でスポーツのイベントを行なっていたんです。私が行ったのは、一つは英国パラリンピック協会主催の「スポーツフェスタ」で、パラリンピックの全種目が体験できるブースがありました。そこには代表クラスの選手とコーチがいたんです。他にも、陸上競技連盟主催で、各地域ごとの「タレント発掘」の機会を設けていて、そちらも見せてもらうことができました。一度限りのイベントで終わらせるのではなく、その後は一般の陸上クラブに障害のある子が入っていく仕組みになっているんです。「パラリンピック協会側も競技連盟側もロンドンパラリンピックのレガシーを継承しようとしているんだな」と感じることができ、とても有意義な時間を過ごすことができました。
二宮: 環境面はいかがでしたか?
佐藤: 英国には、いつでもスポーツに触れることができる環境が用意されています。例えば、障害者スポーツ発祥の地と言われているストークマンデビル病院を見学してきたのですが、そこにはリハビリ施設のほか、すぐ近くにスタジアムや体育館がありました。そこには以前、病院に入院していたパラリンピアンの先輩たちが来て、ボランティアで教えてくれるんです。
二宮: ボランティアで?
佐藤: はい。その理由を聞いたら「自分たちもそうしてもらったから、同じように教えてあげたいんだ」と。ここは今でも車いすの聖地なので、チームに入るきっかけになるなど、その後のステップにも進みやすいのも魅力ですね。
二宮: 病院の敷地内にスポーツ施設があれば、障害者もスポーツを始めやすい。
佐藤: この病院ではリハビリ施設に「スポーツタイムテーブル」が貼ってあり、月曜から金曜までバスケ、テニス、ラグビー、卓球、車いすの基本操作などを教えてもらえるたくさんのクラスが用意されていて、希望者が参加できるようになっています。また、病院だけでなく、地域でも日本とは環境が違いました。例えば陸上クラブには障害者も入ることができて、健常者と一緒に練習することができるんです。指導者も健常者を教えているコーチたちが、普通に障害者にも教えていました。
二宮: 英国は健常者と障害者の垣根が低い。だからこそ、ロンドンパラリンピックの成功があったんでしょうね。
佐藤: そうだと思います。2012年のロンドン大会の成功を目指して、組織の統合や人々の意識改革を進めたことも大きかったのだと思います。2020年オリンピック・パラリンピックの招致活動が佳境を迎えていますが、日本にもこうした環境づくりが進むといいなと思います。
(第4回につづく)
<佐藤真海(さとう・まみ)プロフィール>
1982年3月12日、宮城県生まれ。サントリーホールディングス株式会社勤務。早稲田大学2年時に骨肉腫を発症し、右足ヒザ下を切断。退院後、東京都障害者総合スポーツセンターで水泳を始める。その後、競技用義足の第一人者・臼井二美男氏と出会い、陸上競技へ。走り幅跳びで2004年アテネ、08年北京に続いて、昨年ロンドンパラリンピックに出場した。2013年2月に日本スポーツ振興センターのSports Japanアンバサダーに就任。著書に『ラッキーガール』(集英社)、『夢を跳ぶ――パラリンピック・アスリートの挑戦』(岩波ジュニア新書)、『とぶ!夢に向かって』(学研)がある。
サントリーホールディングス株式会社 http://www.suntory.co.jp/
(構成・斎藤寿子)
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