二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.05.22
第3回 休養に対する意識改革
~科学が引き出す未知の力~(3/4)
二宮: 櫻井先生は、2013年夏から久保選手のトレーニングを見てきたということですが、どのようにしてメニューを組まれたのでしょう?
櫻井: アスリートのトレーニングメニューというのは、一般的に1週間単位で組むんです。そのためにはまず53週間後、つまり1年後にはどうなっていたいかということを考える。そこから逆算して、「今週はこのメニューをやろう」「今月はこういう部分を重点的に鍛えよう」というふうにしてメニューを組んでいくんですね。365日と言うと、長い気がしますが、1週間が53回しかないとなると、短く感じますよね。
伊藤: だからこそ、1日も無駄にはできないんですね。
二宮: ひと言でトレーニングと言っても、身体に負荷をかけるばかりでなく、しっかりと身体を休めることも、栄養を摂ることも重要です。そのすべてを櫻井先生が指導されていたのでしょうか?
櫻井: 栄養の面に関しては、もともと久保選手自身、きっちりとやっていましたから、その部分は彼に任せていました。それよりも、私がやらなければいけなかったのは、休養の部分でした。とにかく彼は練習をするんです。それもとことんやらないと気が済まない。休まないというのが彼のポリシーでしたから、最初は「休んでください」と言っても、「疲れていませんから」と言って、なかなか休んでくれなかった(笑)。
二宮: 根が真面目な選手ほど、休まない傾向にあります。もちろん、それは利点でもあるわけですが、やはり十分に休養しているからこそ、トレーニングの効果がパフォーマンスに出るわけですよね。しかし、休まないことを美徳としている選手も少なくありません。久保選手に対しても、休養の重要性を理解してもらうところから始めなければいけなかったと。
櫻井: そうなんです。ですから、筋肉の疲労度合いを測ってデータにして見せたりして、「身体は疲れているから、休んでください」と、もうとにかく口を酸っぱくして言い続けました。久保選手にとって一番わかりやすかったのは、休養をとった時ととらなかった時とのパフォーマンスの違いを数字で見せること。やっぱりきっちり休んだ時には、数字がグンと上がるんです。それを見て、「あ、休んでいいんだ」と納得すると同時に、自分がやっていることが正しいんだという自信にもつながったはずです。それがまた、パフォーマンスを上げる要因にもなったと思います。
【トレーニングに不可欠な相互理解】
二宮: 既にオリンピック選手の強化では、根性だけでがむしゃらにやるトレーニングではなく、医科学的な見地からメニューを組んだ効率のいいトレーニング方法が採用されています。じゃあ、それをそっくりそのままパラリンピック選手にもってくればいいのかというと、そうではないと思うんです。というのも、パラリンピック選手には病気で障がいを負い、今もなお薬を服用しながら練習を続ける選手もいる。そうなると、トレーニングの内容もすべてひとくくりにすることはできません。
櫻井: おっしゃる通りですね。オリンピック選手においても、多少の統合性はあっても、やはりトレーニングというのは十人十色。それぞれオリジナルなメニューになっているんです。それがパラリンピック選手となると、たとえ同じ障がいでも、それぞれ度合いも残存機能も違うわけですから、さらに細かい視点で各選手のトレーニングメニューを考えていかなければいけないと思います。
二宮: 指導者と選手との相互理解は不可欠です。しかし、これがなかなか難しい。以前、車いすテニスのコーチからこんな話を聞いたことがあります。車いすテニスを指導し始めたばかりの頃、ある選手にこう言われたそうです。「(切断して)ない足が痛むから、今日は練習ができない」。そのコーチは「そんなわけないだろう。練習をさぼる言い訳をするな」と怒ったそうなんです。ところが、後で調べてみたら、実際にそういうことが起こり得ることがわかって、すぐに選手に謝ったそうです。私も整形外科の医師に聞きましたが、「ファントムペイン」「ゴーストペイン」と言うそうですね。
伊藤: 経験がないだけに、なかなか理解するのは難しいですよね。
二宮: ある意味ではオリンピアンとの関係以上に、信頼関係が必要だと思うんです。
櫻井: 私自身、久保選手を指導してみて、そう思いましたね。深い部分での結び付きがないと、一緒に世界を目指すことはできないなと。トレーニングの成果にも表れてきますからね。人と人とのつながりの大切さを、改めて知るいい機会になりました。
(第4回につづく)
<櫻井智野風(さくらい・とものぶ)プロフィール>
神奈川県生まれ。1991年、横浜国立大学大学院教育学研究科保健体育学専攻修了。1992年より東京都立大学理学部体育学教室助手、2006年より東京農業大学生物産業学部健康科学研究室准教授を経て、2014年4月より桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部スポーツテクノロジー学科教授となる。『乳酸をどう活かすか』(杏林出版)、『ランニングのかがく』(秀和システム)など著書多数。日本陸上競技連盟普及育成部委員。日本トレーニング科学会理事。
(構成・斎藤寿子)