二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.06.12
第2回 スポーツ導入システムの必要性
~2020年へ選手強化の展望~(2/4)
二宮: 花岡さんは高校時代に交通事故に遭ったわけですが、どのようにして車いす陸上の世界に入ったのでしょうか?
花岡: 入院していた病院で車いすマラソンのパンフレットを見たところからスタートしました。
伊藤: 医師や理学療法士の方に勧められたのですか?
花岡: いえ、リハビリ室の隣の部屋に、障がい者スポーツの資料がたくさん並べられていたんです。いろいろな競技があったのですが、もともと僕、球技が不得意だったんですよ(笑)。それで、車椅子バスケットボールも車いすテニスもあかんなぁ......と思っていたところに、ポンと車いすマラソンの写真が目に飛び込んできたんです。「うわぁ、かっこいい」と、もう一目ぼれでしたね。僕の場合はそれが始まりだったのですが、障がいを負った人たちがみんなそうやってスポーツに目を向けるきっかけを得られるかというと、日本ではまだまだ難しいかなと思いますね。
伊藤: 海外ではどうなのでしょうか?
花岡: 例えば、先日スイスに遠征に行ってきたのですが、脊椎損傷の専門の病院にはドクターヘリが常駐していて、事故の現場からすぐに病院へと搬送されるようになっているんです。さらに病院の敷地内には、宿泊施設や400メートルトラックまである。つまり、事故に遭った人を運んだ後、オペや治療、リハビリにとどまらず、その先の生活やスポーツというところまで、病院が一貫して見ることのできるシステムが出来上がっているんです。
二宮: 日本では、オペからリハビリ、そして社会復帰というところまでは整っていますが、その先のスポーツというところにまでは、まだ行っていません。
花岡: 以前、車いすメーカーに勤めていた頃に聞いた話では、十分なリハビリをしないまま、患者を早く退院させる病院もあるのだそうです。リハビリが不足している状態で自宅に帰っても、結局そこから患者自身が何かアクションを起こすということは難しい。そういう状況も生まれていると聞きました。
伊藤: 日本ではせっかくリハビリをやっても、一度そこで道が途切れてしまって、スポーツの導入まで到達しない人がたくさんいる。一貫して行なわれる仕組があることが望ましいですね。
【増やしたい子供の楽しい体験】
花岡: それともうひとつ問題なのは、子どもの時からスポーツに触れ合う機会が少ないということです。国内の障がい者スポーツのレベルはどんどん上がっていますが、一方で間口が狭くなっている気がするんです。トップ選手たちの競技会はあっても、子どもたちが遊び感覚でかけっこ競争を楽しむことができる場があまりにも少ないんじゃないかなと。
二宮: 子どもの頃の遊びが、スポーツをやるきっかけになる。そのためには、子どもの頃に「楽しい」と思えるような体験が必要ですよね。
伊藤: 誰でも参加できる運動会のようなものがあると、子どもたちには入りやすいですよね。
花岡: そうなんです。ところが、現在は「国際パラリンピック委員会(IPC)へのエントリーが必要」とか、「参加標準記録を突破しなければいけない」といったような厳しい条件付きの大会がほとんどです。それとはまた別に子どもたちが日常用の車いすで参加できるかけっこ競争をつくるとか、IPC公認の大会に子どもたちが参加できるセクションを設けるとか......。そういう環境がもっと広がれば、障がいを持っていても、子どもの頃からスポーツに親しむことができると思うんです。
(第3回につづく)
<花岡伸和(はなおか・のぶかず)プロフィール>
1976年3月13日、大阪府生まれ。プーマ ジャパン所属。1993年、高校3年時にバイク事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。1994年から車椅子陸上を始め、2002年には1500メートルとマラソンの当時日本記録を樹立した。2004年アテネパラリンピックに出場し、マラソンで日本人最高位の6位入賞。2012年ロンドンパラリンピックでは同5位入賞を果たした。同大会を最後に陸上選手としては引退。現在はハンドサイクルに転向し、2016年リオパラリンピックを目指している。現在は国内外のパラサイクリング大会に出場する傍ら、日本身体障害者陸上競技連盟強化委員会車椅子グループ部長を務める。
(構成・斎藤寿子)
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