二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.08.07
第1回 パラリンピック開催が超高齢社会の財産に
2020年成功のカギは"オールジャパン"(1/4)
今年4月、パラリンピックの管轄が厚生労働省から文部科学省へと移管され、オリンピックとの一元化が実現した。さらに来年4月を目途に、スポーツ庁の設置が進められている。2020年東京オリンピック・パラリンピック、その後の発展に向けての動きが加速する中、我々は何をすべきか――。今回はオリンピック・パラリンピック担当大臣でもある下村博文文部科学大臣をゲストに迎え、国、国民それぞれが"今できること"について訊いた。
伊藤: 6年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックの成功をテーマに、今回は下村博文文部科学大臣にお話をお伺いしていきたいと思います。
二宮: 東京オリンピック・パラリンピックへの期待が、国民の間でじわじわと高まってきている印象がありますが、下村大臣はどんなふうに感じていますか。
下村: 昨年9月に招致が決定したわけですが、これはひとえに"オールジャパン"で挑んだからこそ、成功したと思うんです。その雰囲気をこれからも大事にしていきたいですよね。2020年に向けて、東京都だけで盛り上がるのではなく、日本全国が活性化するような体制を築いていきたいなと思っています。
伊藤: 今年4月からパラリンピックも文部科学省に移管されたわけですが、国としてはどのような取り組みを考えているのでしょうか。
下村: 東京は一度、1964年にオリンピック・パラリンピックを開催していて、2020年は2回目になるわけです。ですから、1964年の時とはまた違う意味合いをもたせないといけない。日本全体が活力を取り戻して、世界中の人々から「日本に行ってみたい」と思ってもらえるような大会にしたいですね。そのために今、あらゆる面で準備を進めているところです。来年あたりからどんどん具現化していくと思います。
【物理的・精神的バリアフリー社会へ】
二宮: オリンピックの重要性は言うまでもありませんが、今やパラリンピックの存在を欠かすことはできません。2012年ロンドン大会は、オリンピックのみならず、パラリンピックが非常に高い評価を受けました。東京も同じ成熟都市として、パラリンピックの成功が大会成功の大きなカギを握るのではないでしょうか。
下村: そうですね。パラリンピック開催は、今後の日本を考えたうえでも重要だと思っています。昨年10月にオリンピック・パラリンピック推進室が内閣府に設置されました。そこで2020年に向けて提案されたのが、バリアフリー都市。1964年の時は高度経済成長の象徴ともなった首都高速道路の建設や、新幹線の開通などが注目されましたが、これからの日本が直視しなければならないのは、少子高齢化問題です。高齢になれば、誰だって足腰が弱くなり、車椅子生活になる可能性はある。ですから、バリアフリー都市の推進は、何も障がいをもつ人たちのためではなく、すべての国民のためのものだと考え、進めていきたいと思っています。
伊藤: パラリンピック開催は、超高齢社会日本にとって未来の財産を生み出すことにもなると。
下村: はい、そうです。ただ、健常であるうちは、どうしても気づかない点はたくさんあると思うんです。そこで実際に車椅子に乗って、移動してみようということで、近日中に試験を行おうと思っています。本当は私自身が体験したかったのですが、どうしても時間の調整がつかないので、今回は櫻田義孝副大臣と冨岡勉大臣政務官にお願いしました。櫻田副大臣には成田空港から、冨岡大臣政務官には羽田空港から、それぞれ公共交通機関を利用して、国立競技場まで車椅子で移動してもらいます。海外から車椅子の人たちが来られた時に、どういうものが問題になるのか、現時点で何が課題なのかを実際に体験して、改善していこうと考えています。
二宮: それは素晴らしい試みですね。バリアフリーというのは、物理的にもそうですが、精神的な面においても重要です。健常者と障がい者の間にある、あらゆる壁を取っ払うと。今回、櫻田副大臣や冨岡大臣政務官が実際に車椅子での移動を体験するというのは、障がい者だけではなく、国民全体の問題として捉えているからこそでしょう。それは、パラリンピックに向けた施策が超高齢社会を迎えた日本全体の問題として捉えるべきだというメッセージにもなります。
下村: 体験しないとわからないことはたくさんありますからね。もう20年くらい前かな、「100キロハイク」というある番組の企画で、東京を中心に100キロを24時間歩いたことがあるんです。70キロ、80キロと終盤になると、もうヘトヘト状態。そんな時に、ただガードレールが設置されているだけで、きちんと舗装されていない歩道を歩くのは本当に大変でした。元気な時には、まったく気づかなかったことばかりでしたね。少し足を痛めただけで、こんなに大変だったのかと。つまり、日本は元気な人の視点でしか物事が作られていない。そんな経験もあって、2020年オリンピック・パラリンピックをきっかけにして、世界で最もバリアフリーが行き届いた国・都市にしたいという思いは強いですね。
(第2回につづく)
<下村博文(しもむら・はくぶん)>
1954年5月23日、群馬県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、学習塾の経営を経て、1989年に東京都議会議員に初当選。自民党都連青年部長、都議会厚生文教委員会委員長などを歴任し、1996年衆議院総選挙で初当選。2012年12月、文部科学大臣に就任し、昨年9月からは東京オリンピック・パラリンピック担当相を兼任している。近著『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』(海竜社)
(構成・斎藤寿子)