二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.08.14
第2回 急がれる強化の環境整備
2020年成功のカギは"オールジャパン"(2/4)
二宮: 2020年東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げるためには、選手の育成・強化もまた、重要な課題です。特にこれまでほとんど個々にトレーニングを行ってきたパラリンピック選手の育成・強化については、支援面などで国が本腰を入れていかなければいけないのではないでしょうか。
下村: そうですね。日本はロンドンオリンピックで史上最多となる38個のメダル(金7、銀14、銅17)を獲得したわけですが、これはやはりナショナルトレーニングセンター(NTC)の効果と言えるでしょう。今度はパラリンピック選手もNTCを活用できるようにして、強化を図っていきたいと思っています。
伊藤: オリンピック選手とパラリンピック選手がひとつの施設を共用することで、相互作用があるはずです。パラリンピック選手は、何よりもそういう環境を願っています。
下村: 現在も競泳などは、NTCを共用していますよね。ただ、現在のNTCでは対応することができないパラリンピック競技もある。そこで、既存のNTCの近くに、第2NTCを建設し、そこを使用してもらおうと計画しています。また、オリンピック選手と比べてパラリンピック選手は長距離移動が大きな負担となる選手もいますから、できたら1カ所ではなく、全国にいくつかトレーニング拠点を置きたいと思っています。実際、各自治体からは「うちには、こういう施設があるから、受け入れ態勢は整っています。合宿やトレーニングに使用してください」という提案をいただいているんです。2020年には、オリンピック選手同様に、パラリンピック選手も十分な準備をして本番を迎えられるよう、環境整備を図っていきたいと思います。
【スポーツ庁設置へ課題山積】
二宮: 環境整備には、国土交通省や総務省など、多くの省庁がかかわってくる。つまり、縦割りの壁を突破していかなければいけないわけで、非常に遠大なテーマです。
下村: 他省と風通しのいい関係を築いていくことが、あるべき姿だと思います。というのも、スポーツは何も文科省だけのテーマではありません。例えば、今後ますます高齢化が進む日本の年間医療費は、トータルで約40兆円になると言われています。そのうち、運動がかかわる生活習慣病での医療費の割合が約10%。つまり、膨大な医療費は、運動不足も大きな原因のひとつとなっているんです。これは大人だけではありません。実は驚くべきデータがあります。女子中学生の4人に1人は、体育の授業を除いて、1週間の運動時間がゼロだというのです。
伊藤: 生活習慣病の若年化が進めば、さらに医療費が膨らむことは自明です。
下村: そうです。そこで生活習慣病を改善するために、国民の運動習慣をどうつくるかが課題となるわけです。アスリートだけでなく、10代から高齢者まで、スポーツによって健康維持が進めば、医療費の削減にもつながります。健康維持という視点においても、スポーツ庁の早期設置を考えていかなければいけないと思います。
二宮: そのスポーツ庁は、来年4月を目標に設立する計画というふうに報道されていますが、実際のところはいかがでしょうか。
下村: 東京オリンピック・パラリンピックが決定する約8カ月前に第二次安倍内閣が発足しましたが、私は文部科学大臣に拝命してすぐに、田村憲久厚生労働大臣との間で「これからは文科省でオリンピックとパラリンピックを一本化して取り組んでいく」と話をしています。さらに同時期に、安倍総理からは「スポーツ庁の設置を検討するように」と言われました。つまり、我々としては東京オリンピック・パラリンピックの招致決定の前に既に水面下で動いてきたわけです。そして今、超党派のスポーツ議員連盟からスポーツ庁設置の提案を受けまして、この秋の臨時国会には法律改正案を提出し、来年の春を目途にスタートできればという話があがっています。
二宮: 「目標」というところに、スポーツ庁設置は一筋縄ではいかないというのが暗に示されていますね。
下村: おっしゃる通りです。先ほども述べたように、医療費ひとつとっても、これからはスポーツで健康維持ができるような環境づくりが必要です。しかし、それには他省庁にまたがった問題がある。これをどう一本化していくかが、大きな問題となっています。2020年東京オリンピック・パラリンピックが6年後に控えていることを考えれば、ゆっくりはしていられません。スポーツ庁の設置を含めて、スポーツにおける国の支援の在り方について、この1、2カ月には結論を出さなければいけないと思っています。
(第3回につづく)
<下村博文(しもむら・はくぶん)>
1954年5月23日、群馬県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、学習塾の経営を経て、1989年に東京都議会議員に初当選。自民党都連青年部長、都議会厚生文教委員会委員長などを歴任し、1996年衆議院総選挙で初当選。2012年12月、文部科学大臣に就任し、昨年9月からは東京オリンピック・パラリンピック担当相を兼任している。近著『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』(海竜社)
(構成・斎藤寿子)