二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.08.21
第3回 スポーツ庁の在り方と意義
2020年成功のカギは"オールジャパン"(3/4)
二宮: これまでオリンピックは日本オリンピック委員会(JOC)が、パラリンピックは日本パラリンピック委員会(JPC)が、それぞれ中心となって舵取りを担ってきました。それが、スポーツ庁の設置によって、国主導の体制に変わっていくのではないかという懸念の声もあがっています。これに関して、下村大臣の意見をお聞かせください。
下村: スポーツ庁の設置に伴って、国がJOCやJPC、あるいは日本スポーツ振興センター(JSC)と、どういう関係を築いて、選手の育成・強化を図るべきなのかは、非常に重要なテーマです。ただ、これも複雑で一概には言えないところがある。例えば、オリンピックにおいては、大きな力をもっている競技団体もあって、そういうところは独自で強化を図っているわけです。ところが、パラリンピックはというと、きちんと体制が整えられた競技団体はほとんどありません。そうなると、パラリンピックに関してはJPCに一本化して、国が支援していく方がいい。こうしたことも、スポーツ庁の設置とともに考えていかなければならないテーマだろうと思います。
二宮: スポーツ庁設立ひとつとっても、2020年までに解決していかなければならない問題は山積しているわけですが、忘れてならないのはスポーツを通して、国民にどんな幸せや喜びを与えられるか、ということ。選手強化も、メダル獲得数も、その結果だと思うんです。
下村: スポーツの在り方を考えると、スポーツ庁は決してアスリートだけのものではありません。すべての国民がスポーツによって健康で幸せな人生を歩むことができる、その環境づくりこそが、スポーツ庁の使命です。そのことを踏まえながら、2020年に向けての体制づくりを急がなければならないと思っています。
【広まるパラリンピアンへの理解と支援】
伊藤: 2020年東京オリンピック・パラリンピックは、スポーツにおける国の体制を変える大きなきっかけとなっていますが、開催決定によって影響を受けているのは障がいをもつ人たちも同じです。日本ではまだ、障がい者スポーツの認知度は決して高くありません。だから障がいのある人たちの中にも、自分たちができるスポーツがあるということを知らない人はまだまだ多い。しかし、東京パラリンピックの開催が決定したことによって、障がいのある人たちが「スポーツは見るものではなく、自分がやってもいいものなんだ」あるいは「自分の障がいでも、やれるスポーツがあるんだ」ということを知るきっかけとなっているんです。この6年で、障がい者スポーツの競技人口がどんどん増えていくといいなと思います。
下村: このサイトは「挑戦者たち」ということですが、いいタイトルですよね。何か特別な能力がある人だけが挑戦できるというのではなく、誰もが自分自身の気持ちのスイッチをオンにするだけで、人生における挑戦者になれるわけです。スポーツは、特にそれがわかりやすい。伊藤さんがおっしゃったように、2020年東京パラリンピックによって、「挑戦者たち」がどんどん増えていってもらいたい。そういう挑戦できるチャンスをいかに提供できるかが、これからの日本に問われているのだと思います。
二宮: 障がいの有無に関係なく、誰もが「挑戦者たち」になれる。2020年を契機にして、そんな社会がつくられていくといいですよね。
伊藤: そうなれば、障がい者への理解も一層深まるはず。ユニバーサル社会の実現に、また一歩近づくことになりますね。
下村: 障がい者に対しての理解においては、まだまだ課題はありますが、ただ少しずつ深まってきているなとも感じているんです。私がオリンピック・パラリンピック担当大臣に拝命したのは、昨年9月に招致が決定した約1週間後、9月の半ばでした。そうしたところ、同月下旬には東京を中心としたロータリークラブの代表の方々が訪ねて来られて、2つの提案を出されたんです。ひとつは首都高の地下移動の件です。1964年の東京オリンピックのために建設された首都高はまるで蜘蛛の巣のようになっていて、東京の空や川の美しさを奪ってしまった。だから今回を機に、地下に移したらどうかということです。これは国交省の方で今、検討が進められているわけですが、もうひとつはパラリンピック選手についてでした。会員は中小企業の方々が多いのですが、皆さんほとんどが経営者なんです。だから、東京パラリンピック後の選手たちの就職先として受け皿をつくりたいと。
伊藤: それは本当にありがたい提案です。選手が聞いたら、どんなに心強く思うことでしょう。
二宮: 2020年に向けて、心置きなく競技に専念できればいいですね。
下村: そうなんです。「国も安心して、パラリンピック選手の支援をしてあげてください」と言ってもらいましてね。そんな風に言ってもらえるのだから、国としてもしっかりと強化していかなければいけないと思っています。
(第4回につづく)
<下村博文(しもむら・はくぶん)>
1954年5月23日、群馬県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、学習塾の経営を経て、1989年に東京都議会議員に初当選。自民党都連青年部長、都議会厚生文教委員会委員長などを歴任し、1996年衆議院総選挙で初当選。2012年12月、文部科学大臣に就任し、昨年9月からは東京オリンピック・パラリンピック担当相を兼任している。近著『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』(海竜社)
(構成・斎藤寿子)