二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.08.28
第4回 全国へ広がるボランティアの輪
2020年成功のカギは"オールジャパン"(4/4)
伊藤: 昨年9月に招致が決定して以降、私たちSTANDには「東京オリンピック・パラリンピックで、ぜひボランティアをしたい」という問い合わせがたくさん来るようになりました。特に多いのは「まだ6年あるので、今から何か準備しておいた方がいいものはありませんか?」という質問なんです。そこで、STANDでは「ボランティア・アカデミー」を設立することにしました。
二宮: オリンピック・パラリンピック成功のために、今やボランティアの存在は欠かすことはできません。2012年ロンドンオリンピック・パラリンピックでは、ボランティアの人たちを「ゲームズメーカー」と呼んでいました。つまり、自分たちも大会をつくっている一員なんだと。だから、言われたことを、ただこなすのではなく、自発的に行動している人たちが多く、とても気持ちのいい対応だったと評価する声が多かった。
下村: 同じ成熟都市として、見習うべき点はたくさんありますよね。私は2020年東京オリンピック・パラリンピックでは、開催都市の東京だけでなく、全国でそれぞれの伝統・文化にちなんだ"おもてなし"ができたらと思っているんです。それこそ、日本には世界遺産が18カ所もありますし、無形文化遺産に登録された和食は、各地域によって素材も味も違いますから、海外の人たちにぜひ堪能してもらいたい。全国どこに行っても、"おもてなし部隊"がいるというようなムーヴメントをつくっていきたいと思っていますから、STANDさんにはぜひボランティアをやりたいと思う人を盛り上げていってほしいですね。
伊藤: はい、ありがとうございます。せっかく、こんなにも東京オリンピック・パラリンピックをお手伝いしたいという気持ちを抱いている人が増えていますので、この火を消さずに、2020年までつなげていきたいと思っています。
【各持ち場での"おもてなし"】
二宮: これは菅義偉内閣官房長官にも賛同いただいたのですが、東京オリンピック・パラリンピックの期間中、ボランティアに参加した人には、例えば学生なら単位を与えるとか、社会人は出勤扱いにするとか、何かどんどんボランティアに参加できるような仕組みをつくってもいいのかなと。
下村: それは妙案ですね。ボランティアをやりたいと思う人が参加しやすいようにしたいですね。それと、ボランティアと一口で言っても、いろいろとあると思うんです。オリンピック・パラリンピックのボランティアというと、競技会場での案内や選手のサポートなどのイメージがあると思いますが、何もそれだけではありません。実は先日、ライオンズクラブの方々にもお話をしたのですが、ライオンズクラブでは緑を増やそうという運動を行なっているんです。その一環として、来日する海外の人たちが気持ちよく感じられるように緑の多い街づくりをするというのも、ひとつのボランティアなんじゃないかと。例えば、この通りはどこどこのライオンズクラブ、こっちの通りはどこどこのライオンズクラブというふうに区分けして、植樹していくんです。そして、1本1本に寄付した人の名前をつけていく。
伊藤: それはいいですね。自分が直にオリンピック・パラリンピックに参加している気持ちになると思います。
下村: そうでしょう。それと、私の選挙区は東京都板橋区なのですが、板橋区の商店連合会の人たちには、「2020年に向けて、やれることをやっていきませんか」と話をしたんです。というのも、板橋区には競技会場はありません。でも、推定2000万人の外国人が来日すると言われています。そうなると、板橋区に足を運ぶ人は必ず出てくる。その時に商店街の人たちが、ちょっとした英語を話すことができたら、ウェルカムの温かい雰囲気でおもてなしができると思うんです。商店街の人たちは高齢者が多いけれども、まだまだお元気ですから、「今から英語を覚えてみませんか」と提案したんです。
二宮: なるほど。何も競技会場だけがボランティアの場ではないと。
下村: そうなんです。要するに、自分たちの持ち場持ち場でやれることをやって、2020年を迎えましょうと。
二宮: そういう小さな"おもてなし"の積み重ねが、やがてはレガシーへと発展していくんでしょうね。
伊藤: それが全国に広まっていったら、まさにオールジャパンのおもてなしができますね。
下村: おっしゃる通りです。2020年東京オリンピック・パラリンピックを、東京だけでなく、日本全体の大きなムーブメントとして盛り上げていきたいですね。
(おわり)
<下村博文(しもむら・はくぶん)>
1954年5月23日、群馬県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、学習塾の経営を経て、1989年に東京都議会議員に初当選。自民党都連青年部長、都議会厚生文教委員会委員長などを歴任し、1996年衆議院総選挙で初当選。2012年12月、文部科学大臣に就任し、昨年9月からは東京オリンピック・パラリンピック担当相を兼任している。近著『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』(海竜社)
(構成・斎藤寿子)