二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.09.04
第1回 スポーツ庁創設の意義
進む強化策 広がる支援の輪 ~2020年に向けて~(1/4)
2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功のカギを握るスポーツ庁は、来春の創設を目指している。だが、厚生労働省、国土交通省など各関係省庁との連携や、日本オリンピック委員会(JOC)、日本パラリンピック委員会(JPC)、日本スポーツ振興機構(JSC)との役割分担など、クリアすべき課題は少なくない。そこで今回は自民党2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長の馳浩衆議院議員に現況と、今後について訊いた。
伊藤: 本日のゲストは衆議院議員で、自民党2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長の馳浩さんです。
馳: 2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功に向けた動きがいろいろと出てきていますが、今年4月からパラリンピックの所管が厚生労働省から、オリンピックと同じ文部科学省に移管したこともそのひとつです。パラリンピックを文部科学省のスポーツ局の枠内で担当することになったことは、日本のスポーツ界にとって大きなステップだと感じています。これまで二宮さんや伊藤さんがパラリンピックの普及のためにご尽力いただいたおかげでもあると思っています。
二宮: その延長線上として、来年の春にはスポーツ庁が設立するという話も出ています。馳さんは、このスポーツ庁にはどんな役割を求めていますか?
馳: スポーツというのは、基本的には個人の主体性で行われるべきものです。しかし、そこに税金を投入したり、行政の支援やサポートがあると、より効果的にスポーツの価値が発揮されることは今や明白な事実です。他の省庁ともうまく連携しながら、スポーツ政策の価値観を高めていこうということを発信するのが、スポーツ庁の役割だと考えています。
【スポーツ振興の継続に不可欠なスポーツ庁】
二宮: スポーツ庁の話が出てきて久しいですが、現在はどのようなかたちで推移しているのでしょうか。
馳: 我々としては2020年東京オリンピック・パラリンピックのできるだけ前にスポーツ庁の設置を実現させたいと考えています。というのも、オリンピック・パラリンピックはゴールではなく、その後も日常的なスポーツ支援がなされていくよう、JOC、JPCをはじめとした運営主体をしっかりと支えていこうという機運を、今から高めていきたいと思っているんです。そうしなければ、今のままではオリンピック・パラリンピックが終わった途端に、スポーツ振興がトーンダウンしてしまうのではないかと。
伊藤: トーンダウンさせないために、今、スポーツ庁をつくっておくことが重要になるわけですね。
馳: おっしゃる通りです。来年4月の設置を目指していますが、そのためには組織、人員体制の予算化と法律の改正が必要です。まずは来年の予算に組み込むために、8月には概算要求を出しました。さらに今、秋の臨時国会での組織改正の法案提出に向けて、進められているところです。
二宮: 馳さんがおっしゃる通り、2020年東京オリンピック・パラリンピックがゴールではありません。2020年以降も継続してスポーツ振興が行なわれていかなければならない。スポーツを通じて、国民の健康寿命を延ばし、幸せな国にするということがスポーツ庁の大きなテーマになるのでは?
馳: 2011年に制定された「スポーツ基本法」には8つの基本理念が盛り込まれています。スポーツ庁ではそこに従って中期計画を作成し、実行していくことになるはずです。基本理念のひとつには、「スポーツは、これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み、国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において、自主的かつ自律的にその適性および健康状態に応じて行うことができるようにすることを旨として、推進されなければならない」とあります。つまり、スポーツに明確な権利性をもたせようと。ほかにも日本代表として戦うこと、その代表選手たちを応援することを誇りに持とうということ。他国・他民族の人たちと、公平なルールのもとで交流し合いましょうということ。それからアンチ・ドーピングの認識を深めること。こうした理念を実現するための基本計画をつくって推進していくのがスポーツ庁であり、それをバックアップしていくのが、私が事務局長を務めているスポーツ議員連盟の役割だと思っています。
二宮: 創設されたスポーツ庁は、最終的にはやはり文部科学省の外局ということになるのでしょうか?
馳: 各省庁との連携を考慮すれば、内閣府でもいいのかなと考えていたのですが、そうすると2つの問題があるなと。ひとつは現在、内閣府が多岐にわたって抱え過ぎの状態であること。それと、もうひとつは日本のスポーツには教育的役割があることを考えれば、やはりスポーツ振興と教育を切り離してはいけないと思うんです。そうすると、やはり文部科学省の所管にした方がいいのではないかと、現在では考えています。いずれにせよ、ほかの省庁との連携は外せませんから、そこのところを考慮したうえで議論を重ねていきたいと思っています。
(第2回につづく)
<馳浩(はせ・ひろし)>
1961年5月5日、富山県生まれ。高校入学後にアマチュアレスリングを始め、3年時には国民体育大会で優勝。専修大学時代にはレスリング部の主将を務める。卒業後は、母校の星稜高校(石川)で教員を務める傍ら、84年のロサンゼルスオリンピックに出場。翌85年にはジャパンプロレスに入門し、プロレスラーに転向した。87年からは新日本プロレスの中心選手として活躍。95年、参議院議員に初当選した。2000年、参議院議員を辞職。同年、衆議院議員総選挙に立候補して当選。昨年10月より、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長を務める。
(構成・斎藤寿子)