二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.09.11
第2回 連携重視の柔軟な考え
進む強化策 広がる支援の輪 ~2020年に向けて~(2/4)
二宮: 今年4月、「スポーツ振興の観点から行う障害者スポーツに関する事業」の管轄が、厚生労働省から文部科学省へと移管されました。今後、スポーツ庁が設置された場合も、やはりトップスポーツに限っての対象となるのでしょうか。
馳: 私はその方がいいだろうと思っています。というのも、障がい者スポーツにおけるトップ選手たちは、まさにアスリートであり、そういう面ではスポーツとして扱われるべきです。だからこそ、文部科学省に移管したわけです。しかし、障がいによっては、競技を続けながらリハビリを続けたり、薬の服用が必要となる場合もあります。そういう部分においては、厚生労働省と共管とした方がいい。あくまでも基本的にはスポーツとしてスポーツ庁の管轄になりますが、アスリートの生活や健康を支えるという観点においては、厚生労働省と常に連携をとれるよう共管にするというように、柔軟に考えていくべきだろうと思っています。
伊藤: パラリンピック選手も現役引退後、第一線から退き、社会参加やリハビリという観点からスポーツを続けるということになれば、厚生労働省の管轄になります。そういう意味でも、厚生労働省との連携は不可欠です。
二宮: 各省庁が縄張り争いをするのではなく、お互いが選手やスポーツ振興のために連携を取っていきましょうと。
馳: そうです。縦ではなく、横のつながりを大事にしていきたと思っています。
伊藤: スポーツ庁の設置はもちろんですが、2020年オリンピック・パラリンピックの成功には、ナショナルトレーニングセンターの整備も必須です。報道では、既存の施設をオリンピック選手とパラリンピック選手が共用する方向でとありましたが、実際はどういうふうに進められているのでしょうか。
馳: ナショナルトレーニングセンターにおいても、スポーツ庁同様に柔軟に考えていきたいと思っています。現在は東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターをパラリンピック選手もオリンピック選手と同じように普段から使用できるようにしようということで進められています。しかし、その一方でパラリンピック選手の身体的特性や、日常生活を考慮すれば、サポートするスタッフが必要な場合もある。ならば、そういうサポート体制が整っている総合病院の付近に新たなナショナルトレーニングセンターを設置し、病院と連携をとっていこうという案もあります。いずれにしても、ひとつだけでなく、全国にいくつかナショナルトレーニングセンター、あるいは中核地点となる施設があるといいのかなと思っています。
【不可欠な税金使途のチェック】
二宮: スポーツ庁の創設によって、トップスポーツにおけるJOC(日本オリンピック委員会)、JPC(日本パラリンピック委員会)、JSC(日本スポーツ振興センター)との主導権争いも取沙汰されていますが、それについてはいかがでしょうか。
馳: 私はこれまで通り、JOCもJPCもJSCも、それぞれが組織設置の根拠に従って主導権を持てばいいと思っています。ただし、国民の税金が投入されるわけですから、不正経理せずに、正しく使っているかどうかという部分においては、我々行政が厳しい目でチェックしなければならない。というのも、過去、競技団体の不正経理や不祥事が起きているわけですからね。
二宮: 強化資金の予算の配分は、一本化する予定でしょうか?
馳: はい、情報共有という意味でも一本化したいと思っています。これまでは国庫補助金、TOTOの助成金、スポーツ振興基金と3つの蛇口がありましたが、公的資金ということで、この3つを独立行政法人の方で一括せざるを得ません。また、配分する際に勘違いしてはいけないのは、もちろんどの競技にも基盤的な強化費は絶対に必要ですが、その中でもメダルの可能性によって、やはり厚みが違ってくるということです。税金を使っている以上は、その効果と評価を出さざるを得ません。
二宮: まったくおっしゃる通りですが、一方では強化資金を一本化することで、国があまりにも力をもちすぎるのではないか、という懸念の声も聞かれます。政府の意向を受けてボイコットをした1989年モスクワオリンピックと同じ轍を踏む事態になるのでは、とスポーツの独立性を危ぶむ声も耳にしますが、これについてはいかがですか。
馳: もちろん、モスクワオリンピックの二の舞は決して犯してはなりません。ガバナンスの主体性は、競技団体にあり、国が口を挟む問題ではない。しかし、それと強化資金の一本化とは、まったく次元が違う話です。国がどうというよりも、国民から預かった税金の使い道は、常に透明性と説明責任が必要です。私たち国会議員は資金が出せるように頑張ります。でも、不正経理はダメですよ、ちゃんとチェックしますからね、ということ。あとの主導権はすべて競技団体にある。そこをご理解いただきたいと思います。
(第3回につづく)
<馳浩(はせ・ひろし)>
1961年5月5日、富山県生まれ。高校入学後にアマチュアレスリングを始め、3年時には国民体育大会で優勝。専修大学時代にはレスリング部の主将を務める。卒業後は、母校の星稜高校(石川)で教員を務める傍ら、84年のロサンゼルスオリンピックに出場。翌85年にはジャパンプロレスに入門し、プロレスラーに転向した。87年からは新日本プロレスの中心選手として活躍。95年、参議院議員に初当選した。2000年、参議院議員を辞職。同年、衆議院議員総選挙に立候補して当選。昨年10月より、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長を務める。
(構成・斎藤寿子)