二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.09.18
第3回 "支え手"にスポットライトを
進む強化策 広がる支援の輪 ~2020年に向けて~(3/4)
伊藤: 先日、馳さんが事務局長を務めている障がい者スポーツ・パラリンピック議員連盟の会合に、パラリンピック選手のみならず、指導者や競技団体の関係者も参加させていただきました。長い時間を割いて、いろいろと話を聞いていただき、とても感謝しています。
馳: もちろん、これからもそういった会合を重ねていきたいと思っていますよ。
伊藤: ありがとうございます。
馳: 競技スポーツは「する」だけでなく、「見る」「支える」人がいなければ成立しません。だから指導者や競技団体の方たちの声を聞くことも、非常に重要だと考えています。ところが、日本では支え手に対する配慮がまだまだ欠けている。支え手の例で言えば、審判もそうですが、実は6月にブラジルW杯を視察に行った際、宿泊したリオデジャネイロのホテルが、偶然にもFIFA(国際サッカー連盟)の審判団と同じだったんです。日本から派遣された主審の西村雄一さん、副審の相楽亨さん、名木利幸さんもいらっしゃって、いろいろと話をしたのですが、驚いたことにJリーグですらプロの審判は14人しかいないんだそうです。そのほか大多数は学校の体育の先生がやってくれていると。
【職場への気遣い無用へ】
二宮: プロの組織ですら、そういう現状ですから、アマチュア競技はさらに厳しい状況です。
馳: おっしゃる通りです。私は日本レスリング協会の副会長もやっていますが、レスリングの国際大会では帯同審判が必要なんです。しかし、そのほとんどが学校の先生で、ボランティアで引き受けてくれている。みんな職場に頭を下げて、なんとかやりくりをして来てくれるんです。競技役員にしても同じです。「職場に迷惑をかけて申し訳ない」と、まるで日陰者のような扱いで、実は出てきてもらっている状態なんです。
伊藤: 日本代表団のためにやってくれているのに、職場に頭を下げないといけないというのは、なんだか理不尽な気がします。
馳: そうなんですよ。だから私はスポーツを支える側にもきちんとスポットライトを当てて、活動しやすい環境を整えないといけないと考えているんです。例えば、委嘱上の氏名を文部科学大臣にすれば、職場に頭を下げなくてもいいと思うんです。私なんかは総理大臣でもいいのかなと思っているくらいです。
二宮: れっきとした公務での出張にすると?
馳: はい、そうです。一般スポーツでさえこういう状況ですから、障がい者スポーツの審判や競技役員は、もっと大変な思いをしていると思いますよ。
伊藤: 肩身の狭い思いをしながら、皆さんやってくれているんですよね。
馳: そうでしょう。だからこそ、もっと誇りをもって、審判や競技役員として参加できるような空気をつくってあげたいんです。
(第4回につづく)
<馳浩(はせ・ひろし)>
1961年5月5日、富山県生まれ。高校入学後にアマチュアレスリングを始め、3年時には国民体育大会で優勝。専修大学時代にはレスリング部の主将を務める。卒業後は、母校の星稜高校(石川)で教員を務める傍ら、84年のロサンゼルスオリンピックに出場。翌85年にはジャパンプロレスに入門し、プロレスラーに転向した。87年からは新日本プロレスの中心選手として活躍。95年、参議院議員に初当選した。2000年、参議院議員を辞職。同年、衆議院議員総選挙に立候補して当選。昨年10月より、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長を務める。
(構成・斎藤寿子)