二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.09.25
第4回 強化と密接不可分な普及
進む強化策 広がる支援の輪 ~2020年に向けて~(4/4)
二宮: 2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けての強化策がいろいろと進んでいますが、馳さんが最も重視していることは何でしょう?
馳: 私は強化と密接不可分である普及も重要だと考えています。社会的なスポーツの広がり、つまり生涯スポーツの普及ですね。
二宮: 私も最も大事なのは普及だと考えています。その次に育成、そして最後に強化がくる。底辺を拡大すれば、ピラミッドの山もそれだけ高くなるはずです。
伊藤: いわゆる総合型地域スポーツクラブは、まさに生涯スポーツにおいて重要な役割を担うわけですが、最近はクラブの指導者、特に子どもたちを指導している方々から「ぜひ、障がいのある子どもたちも入って、一緒にスポーツを楽しんでほしい」という声が徐々に増えてきているんです。
二宮: それほど障がい者もスポーツをするということが、一般社会にも広まってきているということですね。やはりパラリンピックの影響が大きいのでしょう。
伊藤: ただ、指導者が困っているのは、障がいのある子どもたちへの指導経験がないということなんです。どうやって教えて、どういうふうにすれば、健常の子どもも障がいのある子どもも一緒になってスポーツを楽しむことができるのか、それさえ教えてもらえたら、ぜひそういう場をつくっていきたいと。
馳: 生涯スポーツにおいて、健常者も障がい者も関係ないという考えは素晴らしいですね。そうした理念のもと、障がい者の特質を理解したうえで、お互いに居心地のいい空間をつくることが必要です。そして、こうした集まりが厚みを増せば増すほど、健常のスポーツにおいても障がい者スポーツにおいても、トップレベルでの競争は激しくなるわけです。そして、スポーツへの参加人数が増えることによって、スポーツの社会的価値観が高まっていくはずです。
【大会後に残る"心のレガシー"】
伊藤: 2020年東京オリンピック・パラリンピックまであと6年。私たち国民は、どんなふうに2020年を迎えたらいいでしょうか。
馳: 昨年、自民党2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長に就任してから、世界各国の国際会議に出席しました。そこで感じたのは、世界中の人たちが、日本に大きな期待を抱いているということです。その期待に応えられるような大会にしたいと改めて思ったわけですが、もうひとつは日本国民がオリンピック・パラリンピックにかかわったことを人生最大の思い出として残る大会であってほしいと思っています。
二宮: "心のレガシー"ですね。
馳: はい。例えば、「オレ、開会式の駐車場係だったんだよ」と、誇らしげに言ってくれたらなと。実はこれ、私の密かな夢なんです(笑)。「はい、こちらにお願いします」なんて言って、開会式に出席する二宮さんや伊藤さんを、ぜひ誘導したいですね。
二宮: それはお孫さんにも自慢できますね。
馳: そんなふうにして、誇りにしてもらいたい。東京オリンピック・パラリンピックという名称ではありますが、国民みんなが関わりを持てるような、日本全体としてのオリンピック・パラリンピックにしたいと思っています。
(おわり)
<馳浩(はせ・ひろし)>
1961年5月5日、富山県生まれ。高校入学後にアマチュアレスリングを始め、3年時には国民体育大会で優勝。専修大学時代にはレスリング部の主将を務める。卒業後は、母校の星稜高校(石川)で教員を務める傍ら、84年のロサンゼルスオリンピックに出場。翌85年にはジャパンプロレスに入門し、プロレスラーに転向した。87年からは新日本プロレスの中心選手として活躍。95年、参議院議員に初当選した。2000年、参議院議員を辞職。同年、衆議院議員総選挙に立候補して当選。昨年10月より、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部本部長を務める。
(構成・斎藤寿子)