二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.12.11
第2回 パラリンピックではかられる成熟度
~メディアが映し出すパラリンピックとは~(2/4)
二宮: ちょうど50年前の1964年に東京オリンピックが開催されました。これまであまり知られていませんでしたが、実はその約1カ月後にはパラリンピックも行われているんですよね。その時に出場したある選手がこう語っています。「外国の選手はスポーツを楽しんでいたけれど、当時の日本では楽しむなんて考えられなかった」と。
村尾: 障がい者に対して、国がどういう対応をしているのかというのは、社会の成熟度合いを示す重要な要素のひとつになると思うんです。障がいをもっていても、肩身の狭い思いをするのではなく、いきいきと生きていくことができる。それが保障された社会こそ、成熟都市、成熟社会です。そういう意味では、パラリンピックにどれだけ選手を送り込んでいるかということも、その国の成熟度合いを示す大きな要素になるのではないでしょうか。
二宮: それこそ2020年には、どんなふうにおもてなしができるかによって、日本の成熟度が問われてくるわけですね。例えばハード面においては、オリンピック選手だけでなく、パラリンピック選手がいかに使用しやすいかが重要です。これは何もパラリンピックだけを考えてのことではなく、超高齢社会を視野に入れても、これからはユニバーサルデザインの導入は不可欠です。とはいえ、何でもかんでもつくればいいかというと、そうではありません。取捨選択が重要です。
村尾: その通りですよね。二宮さんがおっしゃるように、何をつくるにしても、2020年に限っての投資ではなく、30年先、40年先にも役立つような、そして障がいの有無に関係なく、誰でも活用することができるような施設をつくってほしいなと思いますね。そうすれば、もしかしたら意外に「安く済んだ」という発想が起きてくるかもしれないなと思うんです。
伊藤: 2020年オリンピック・パラリンピックだけのことを考えると高い投資も、長きにわたって活用できるものだと考えれば、また違った見方ができるということですね。そういう説明をすることが大事ですし、実際にそういうものをつくることが求められますね。
村尾: そのためには、透明性がとても重要だと思うんです。施設案をつくる段階で、パブリックオピニオンをとって、本当に使い勝手がいいのか、障がい者や高齢者にやさしいつくりになっているのか、ということをチェックしながら進めていく。そうすれば、本当にいいものができあがりますし、また国民にも当事者意識が芽生えると思うんです。
伊藤: それは素晴らしい案ですね。みんなが「おらが国の施設」という誇りを持てますよね。
【"親切"と"おせっかい"のバランス】
村尾: ただ、すべてを完璧にできるわけではないと思うんです。既存の施設をすべて建て直すわけにはいきませんからね。そうなると、やはり施設というハード面以上に、メンタル的なソフト面が大事なんじゃないかなと思います。例えば、上の階に行くのに階段しかない場合、困っている人がいたら、「荷物を持ちましょうか」とか「手伝いましょうか」とか、自然と誰かが声をかける。2020年には、そんな雰囲気を醸し出せることができればいいですよね。
伊藤: パラリンピアンから、こんな話を聞いたことがあります。「日本の中で、障がい者が一番歩きやすい街は大阪だ」と。その理由は、大阪では声をかけてくれる人が多いんだそうです。車いすに乗った人や、白杖をついている人が少し困っていると、大阪のおばちゃんがやって来て「あんた、そこ越えられへんやろ。私に任しとき」と言って、「あんちゃん、ちょっとこの人のこと、持ち上げて」と人を呼んでくれたりするんだそうです。日本ではまだまだ障がい者にどう声をかけていいのかわからない、という人が少なくないと思うのですが、こんなふうにして自然と声をかけられるような姿に変わっていけたらいいですね。
二宮: おっしゃる通りですね。その一方で「余計なことはしてほしくない」という障がい者の方もいる。例えば、車いすの人が新幹線に乗る場合、駅員さんと一緒に行動しなけれいけないと聞いたことがあります。「私は大丈夫です。一人でも行けますから」といくら言っても、「いえ、事故があってはいけませんから、私たちが案内するまで待っていてください」と言われると。安全面の確保と障がい者の自由を、どう担保するのか。そのあたりも、今後の課題となってくるでしょうね。
村尾: そこはやはり、徐々に経験値を積み重ねることによって、いいバランスが自然とできてくるんでしょうね。そうしたこともまた、成熟度の度合いを示すことになるのかもしれませんね。
(第3回につづく)
<村尾信尚(むらお・のぶたか)>
1955年10月1日、岐阜県生まれ。一橋大学経済学部出身。78年、大蔵省(現財務省)に入省。三重県総務部長、主計局主計官、理財局国債課長などを経て、2002年7月からは環境省総合環境政策局総務課長を務める。同年12月に環境省を退官し、翌年から関西学院大学教授となる。現在は同大大学院教授。06年10月より「NEWS ZERO」(日本テレビ系列)のメーンキャスターとして活躍している。
(構成・斎藤寿子)