二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.12.18
第3回 オリンピック・パラリンピック効果を地方にも
~メディアが映し出すパラリンピックとは~(3/4)
村尾: 実は私は、石原慎太郎さんが都知事時代に行った、2016年東京オリンピック・パラリンピックの招致には、正直言ってあまり賛成ではありませんでした。というのも、当時は「財政の無駄遣いになるのではないか」「日本がやるべきことは、もっとほかにあるんじゃないか」と考えていたからです。しかし、今回の2020年東京オリンピック・パラリンピック招致には、賛成でした。
二宮: 2016年と2020年の招致とでは、気持ちにどんな変化があったのでしょう?
村尾: 賛成した大きな理由は、やはり2011年3月11日に起きた「東日本大震災」があります。津波などで大きな被害を受け、そして福島では原発事故まで起こりました。その姿をテレビやインターネットで見た海外の人たちは、「本当に復興できるのだろうか」「いったいどこまで放射能で汚染されているのか」と、日本に対するイメージを一変させたに違いありません。ならば、2020年に東京オリンピック・パラリンピックを開催して、元気で明るい日本を世界の人たちに見せられたらと思ったんです。そして私たち日本人にとっても、「2020年までに美しい日本をもう一度つくって、震災を乗り越えた姿を見せるために頑張ろう」というモチベーションになると思ったのです。ですから、昨年9月8日(日本時間)に、当時のIOC(国際オリンピック委員会)会長であるジャック・ロゲ氏が「TOKYO」と言った時の高揚感は、もう言葉には表せられないものがありました。
伊藤: 私もその瞬間のことは、つい昨日のことのように覚えています。ただ、開催が決定して喜んでばかりはいられないとも思いました。2020年までにやるべきこと、やらなければいけないことはたくさんあると。
村尾: その通りですよね。例えば「エネルギー政策をどうするのか」「障がい者政策はどこまで進められるのか」「施設のユニバーサル化はどう進めていくのか」ということを早急に議論し、実行に移していかなければいけません。ただ、2020年を目標にして、いろいろなことが議論され、取り組もうとしていること自体が、オリンピック・パラリンピック開催が決定したからこそだと思うんです。東京都民だけでなく、日本全体が2020年に向けて何をすべきかを考える、いいきっかけにしてほしいですね。そして、2020年はひとつのゴールであると同時に、未来に向けてのスタートにもなるようにしていきたいですね。
【今からできる2020年に向けたアピール】
二宮: 2020年東京オリンピック・パラリンピックは、「震災から復興した姿を見せる」ということが招致活動の時からの重要なコンセプトとなっています。ただ、被災者の方々から不安な声がたくさん挙がっていることも事実です。「オリンピック・パラリンピックの開催で、東京への一極集中に拍車がかかるのではないか」「人もモノも金も、すべて東京に集まって、被災地にはまわってこないのではないか」と。そういう点で、東京オリンピック・パラリンピックの効果が、被災地にどれだけ行き渡るのか、ということが問われてくるんだろうと思います。そして、ほかの地方においてもメリットがあることを示さなければ、日本の総力を結集することはできません。
村尾: 本当にその通りですね。ただ、地方にとっても大きなチャンスだと思うんです。「せっかく日本まで来たんですから、ちょっと足を伸ばしてみませんか」というアピールを、各地方自治体が打ち出していくことが重要です。実は先日、長野県を訪れた帰りに、新幹線の中でオーストラリア人の方と席が隣り合わせになったんです。その方は「日本には、いい雪があるし、温泉もある」と言ってくれたのですが、どこにどんないいものがあるのかを知る機会さえあれば、地方にも目を向ける外国人はたくさんいると思うんです。よく口コミで観光客が増えるとも言われていますが、ITという強力なツールがあるわけですから、今からどんどん海外にアピールして、口コミで広げるという手法もあるんじゃないかなと。
二宮: 私が一番最初に取材に訪れたオリンピックは、1988年のソウルでした。その前年に事前取材で訪れた時、ソウルから釜山や光州にも足を伸ばしました。やっぱり「せっかく、ここまで来たんだから」と思ったんです。そう考えると、東京オリンピック・パラリンピックで東京を訪れた外国人が、そのまま地方に足を伸ばすということは十分に考えられます。「こんな観光スポットがあるよ」「ここでしか食べられないものがあるよ」と、海外にアピールする大きなチャンスにしてもらいたいですね。
(第4回につづく)
<村尾信尚(むらお・のぶたか)>
1955年10月1日、岐阜県生まれ。一橋大学経済学部出身。78年、大蔵省(現財務省)に入省。三重県総務部長、主計局主計官、理財局国債課長などを経て、2002年7月からは環境省総合環境政策局総務課長を務める。同年12月に環境省を退官し、翌年から関西学院大学教授となる。現在は同大大学院教授。06年10月より「NEWS ZERO」(日本テレビ系列)のメーンキャスターとして活躍している。
(構成・斎藤寿子)