二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2014.12.25
第4回 "違い"を受け入れる多様性社会へ
~メディアが映し出すパラリンピックとは~(4/4)
二宮: アジア初開催となった1964年の東京オリンピック・パラリンピックには、本当にたくさんの外国人が日本を訪れました。日本にとっては初めての経験でしたから、とまどいもあったと思います。しかし、それをきっかけにして、東京あるいは日本の国際化が進みました。オリンピック・パラリンピックには、こうした社会を変える力があるのだと思います。
村尾: 私もそう思います。僕がオリンピック・パラリンピックの力を感じたのは、やはり2012年のロンドンなんです。オリンピックもさることながら、パラリンピックはすごかった。観客で埋め尽くされたスタジアムでは、ロンドン市民が楽しそうに、熱い声援を送っている姿がありました。それを見て、羨ましいなと思ったんです。
伊藤: ロンドンパラリンピックでは、陸上や水泳などの会場は、連日満員で、選手の家族さえもチケットを獲得するのに一苦労だったそうです。「こんなことは、過去のパラリンピックではあり得なかった」と、選手や関係者たちはみんな驚いていました。ただ、競技によっては空席が目立っていた会場もあったことは事実です。ロンドンパラリンピックでは初めてチケットが完売となったことが話題となりましたが、だからと言って、会場が満員になるかどうかは、また別問題なんですね。東京オリンピックでは、「チケット完売」ではなく、「会場を満員にする」にはどうしたらいいのかという発想が大切です。
村尾: 本当にそうですよね。そのためには、国民の視線をパラリンピックに向けることが大事になってくると思うんです。例えば今夏、テニスの全米オープンでは錦織圭選手が男子ではアジア人初の決勝に進出し、日本でも大きな話題となりました。しかし、同じ会場で同時に行われた車いすテニスの部では、国枝慎吾選手と上地結衣選手が、シングルス、ダブルスともにアベック優勝という快挙を成し遂げているわけです。そのニュースを「NEWS ZERO」では取り上げたわけですが、その時の映像を見て、私はショックを受けました。一般のテニスと、車いすテニスとでは、同じグランドスラムの決勝で、こうも観客の入りが違うのかと......。まだまだ車いすテニスの認知度は低いんだということを実感しました。やっぱり、国枝選手や上地選手のようなプレーヤーを、もっとヒーローやヒロインとして報道していかなければいけない。これはメディアの責任でもあると思っています。
二宮: 車いすテニスのみならず、障がい者スポーツを健常者のスポーツと同等に扱っていくことが重要ですね。
【"排除"ではなく"包含"の論理】
村尾: 最後にもうひとつ言いたいのは、何が今の社会に大切かというと、私は多様性なんじゃないかと思うんです。人間には、年齢や性別、国籍など、さまざまな違いがあります。しかし、それを「排除の論理」で排斥していくのではなく、「包含の論理」で包み込んでいく。そういうさまざまな人たちに対応できる社会になっていくことが今、問われているのだろうし、オリンピック・パラリンピックがそのきっかけのひとつになるんじゃないかと期待しているんです。
二宮: まさに、オリンピック・パラリンピックは、社会や人間の心をも動かす一大ムーヴメントだと?
村尾: はい。「ダーウィンの進化論」で唱えられているのは、生き延びるものは、かしこいものでも強いものでもなく、変化していく周りの環境に適応していくものだと。まさに社会がそうだと思うんですね。さまざまな人たちが暮らす多様性があってこそ、その社会は外部の環境変化に柔軟に対応できると思います。
伊藤: 2020年東京オリンピック・パラリンピックでは、どんなふうに成熟した日本の姿を見せることができるのかが問われているわけですが、そのためにはさまざまな違いをもった人たちを、自然に受け入れられる多様性は不可欠ですね。
村尾: おっしゃる通りです。あと6年後にはオリンピック・パラリンピックが開催されるからこそ、こうした議論も活発化するわけですよね。そして議論を重ねていく中で生まれてくる価値観が、日本にとって大きなレガシーとなるはずです。
(おわり)
<村尾信尚(むらお・のぶたか)>
1955年10月1日、岐阜県生まれ。一橋大学経済学部出身。78年、大蔵省(現財務省)に入省。三重県総務部長、主計局主計官、理財局国債課長などを経て、2002年7月からは環境省総合環境政策局総務課長を務める。同年12月に環境省を退官し、翌年から関西学院大学教授となる。現在は同大大学院教授。06年10月より「NEWS ZERO」(日本テレビ系列)のメーンキャスターとして活躍している。
(構成・斎藤寿子)