二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.01.22
第3回 "おもてなし"から生まれるレガシー
~障がいの有無を超えたスポーツの力~(3/4)
二宮: 前回、東京オリンピック・パラリンピックが開催された1964年当時は、日本では障がい者が仕事に就いたり家庭を持ったりするということは、非常に困難な時代でした。その頃と比べると、日本の社会もだいぶ進歩してきたように思います。その要因のひとつとして、スポーツの国際大会が挙げられます。国際大会を開催することによって、社会的な面においても世界水準に追いつこうと努力してきたわけです。そのひとつが、日本で初めて開催された2002年のサッカーW杯でした。
川淵: 正直、その頃はまだバリアフリー化を大きく進めるというところまではいかなかったんです。というのも、まずは海外からのお客さんをどう招き入れるか、ということにおいて、課題が山積していました。例えば、外国人がレストランに行った時、メニューが英語表記になっているか、あるいはレンタカーを借りて運転した時、道路標識の地名がローマ字で大きく表示されているか、など......。外国人を受け入れる体制が整っていなかったんです。僕はW杯開催の2年前からメディアでも「観光大国にするためには、こういうことを変えていかなければいけませんよ」と言い続けましたが、残念なことにあまり変わりませんでしたね。
伊藤: 2020年には2000万人を超える外国人が、日本を訪れると予想されています。
二宮: 今度こそ、東京オリンピック・パラリンピックを機に、外国人に優しい街づくりをしなければいけませんね。
川淵: そう思いますね。日本はまだ外国人に対するケアが足りないと思います。
二宮: "おもてなし"の気持ちは、口だけでなく、行動に表すべきだと?
川淵: おっしゃる通りです。
伊藤: 外国人に対してもそうですが、日本人は障がいのある人に対しての"おもてなし"も、あまり得意ではないという人が少なくないように思います。気持ちはあっても、どうしていいかわからず、なかなか行動に移すことができないんです。
川淵: 手助けしてあげたいけれど、照れや恥ずかしさもあるんでしょうね。でも、そういうことは、「どうしたらいいんだろう」と考えるよりも、まずは行動することが重要です。2020年には、日本人の行動力のあるところを見せられるようにしていきたいですね。
【新発想で世界のリード役に】
二宮: 日本は今や超高齢社会です。そうした中でパラリンピックを開催するというのは、バリアフリー化を進めるうえでも、大きな効果を生み出すことになるはずです。
伊藤: 2020年以降にもつなげるということを意識して、今から準備をしていく必要がありますね。
川淵: そうですね。その時に重要なのは、国内だけを見ずに、世界的な視野で進めていくということです。
二宮: 日本だけでなく、世界的に高齢化が進んでいる。その中で、日本がリード役を担っていきたいものです。
伊藤: それが2020年東京パラリンピックのひとつのレガシーとなりますね。1964年の時は、新幹線の開通や首都高速道路の建設などが、「オリンピックのレガシー」として語り継がれています。ところが、パラリンピックはというと、開催されたことさえもほとんど知られていなかったわけですから、当然「レガシーは?」と訊かれても答えられる人は皆無に等しい。これはとても寂しいことです。2020年では、パラリンピックもあわせたレガシーとして、超高齢社会に向けたものを残せるといいなと思います。
二宮: それこそ、表示ひとつとっても、外国人だけでなく高齢者にも配慮されたものをつくってほしいですよね。
川淵: 今ではすっかりおなじみになったオリンピック競技のピクトグラム(※)は、実は日本人が生み出したもので、1964年の東京オリンピックで初めて採用されました。これで、書いてある外国語がわからなくても、どの競技かがすぐにわかるようになりました。そしてそれが、世界に広がったわけです。2020年でも、さらに新しいアイディアが生まれて、世界に発信していけたらいいですよね。
※ピクトグラム...文字の代わりとなるイラストや図による表示。代表例は「非常口」のマーク。
二宮: 日本はマンガやアニメが得意ですから、いわゆる"クールジャパン"の腕の見せどころですね。
川淵: まさにそうですよね。これまでにない、世界をあっと言わせるような表示の仕方が出てくるかもしれません。
(第4回につづく)
<川淵三郎(かわぶち・さぶろう)>
1936年12月3日、大阪府生まれ。早稲田大、古河電工で活躍。1964年東京オリンピックにサッカー日本代表として出場した。現役引退後、古河電工サッカー部監督、日本代表監督を歴任。88年、日本サッカーリーグの総務主事に就き、サッカーのプロ化をけん引。91年、Jリーグ初代チェアマンに就任。2002年W杯招致にも尽力した。日本サッカー協会会長などを経て、現在は同最高顧問を務める。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会評議員、公立大学法人首都大学東京理事長。08年、日本サッカー殿堂入り。2009年、旭日重光章受章。
(構成・斎藤寿子)