二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.02.19
第3回 普及拡大は「見る」「する」の実体験から
~4年前のリベンジ、そして東京へ―~(3/4)
伊藤: 競技スポーツにおいて、若手選手の発掘・育成というのは、どのチームも抱えている課題だと思います。若手が育たなければ、世代交代も進まないわけですが、その点において、日本ではどのような取り組みをされているのでしょうか?
橘: やはり一番アピールできるのは、毎年2月に開催される大阪カップや、11月の日本選手権といった大会です。特に世界の強豪と対戦する大阪カップで、日本代表が活躍している姿を見ていただくことで、「私もやりたい」「世界を目指したい」と思ってもらえるといいなと思います。
二宮: 現在、車椅子バスケットボールの女子の競技人口はどれくらいでしょうか?
橘: 日本車椅子バスケットボール連盟に加入しているのは70名ほどです。
二宮: 海外では病院の敷地内に体育館やトラックなどがあり、病気やケガで障がいをもった人がスポーツをするきっかけが非常に身近で入りやすい環境が整っていると聞いたことがあります。そうすると、選手の発掘や育成もしやすいわけですが、残念ながら日本ではまだそういう環境にはありません。実際、日本ではリクルート活動はどのように行なわれているのでしょうか?
橘: 正直なところ、全国で共通したプログラムを持ってリクルート活動ができているかというと、ほとんどできていない状況です。個人的な活動になってしまっているのですが、私が行なっている取り組みとしては、理学療法士として勤めている大学の附属病院に通っている患者さんの中で、ドクターの許可も得て、心身の状態が安定している方に声をかけています。少しでも興味を持っていただいた方には、実際に病院の隣にある大学に来ていただいて、学生たちがやっている車椅子バスケットボールを見てもらったり、少し体験してもらったりしています。そうすると、明らかに体育館に来るまでの表情と、見て体験した後の表情とではまったく違うんです。「また、こうやって走ったり、スポーツをしたりすることができるんだ」と言って、嬉しそうにしている。もちろん、その人たちが全員、車椅子バスケットボールをするというわけではありませんが、ひとつのきっかけにはなっているのではないかなと思って、続けています。
【"遊び"から始める重要性】
二宮: バスケットボール自体、簡単な競技ではありません。それに加えて、車椅子を操作するというのですから、極めて難しいですよね。やはり、まずは車椅子を操作するところから始めるのでしょうか?
橘: 本格的に競技としてやろうとするのであれば、やはり車椅子の操作からトレーニングします。ただ、まだ何もわからない状態で最初からトレーニングみたいなことをしてしまうと、単に「きつくて嫌だな」と思ってしまいますので、まずは簡単な鬼ごっこなど、遊び感覚で行えるようなものをするようにしています。車椅子を動かして、地面に置かれたボールを拾いに行くというだけでも、障がいをもった人たちにとっては決して簡単なことではありません。車椅子は横移動ができませんから、必ずボールに対して正面を向くように車椅子を動かさなければならないんです。これが意外に難しい。でも、そういう難しさが、ゆくゆくは面白さにつながっていったりするんです。そういうことを、簡単なゲームにして遊びの中でやっていくと、「あ、車椅子を動かすって楽しいんだな」と。それが「また、やってみたいな」というところまでつなげられると、車椅子バスケットボールに関心を抱く人が増えていくのではないかなと思っています。
二宮: 同じバスケットボールとはいえ、チェアワークと言われる車椅子操作など、車椅子バスケットボールならではの難しさがあります。未経験者にはわからない部分があると思いますが、指導するにあたって、橘さんご自身が車椅子に乗ってバスケットをしたりすることもあるのでしょうか?
橘: 実は私は、車椅子バスケットボールの選手としてプレーした経験があるんです。もともとバスケットボールをしていたのですが、休日に遊びでスキーに行った時に大転倒をして、ヒザをケガしてしまいました。障がい者手帳は持っていませんが、私のように立ってバスケットボールをすることが難しいと認められた場合、「最小障がい」というカテゴリーに入るので、車椅子バスケットボールの選手として認められているんです。
伊藤: その経験が、HCとなった今にいかされているわけですね。
橘: はい、そうなんです。やはり車椅子に座った状態の視点から生まれるアイディアもありますので、今でも時々、選手と一緒に車椅子に乗って走ったりしています。
(第4回につづく)
<橘香織(たちばな・かおり)>
1972年7月4日、兵庫県神戸市生まれ。茨城県立医療大学理学療法学科准教授。2005年から車椅子バスケットボール女子日本代表のマネージャーを務め、08年には北京パラリンピックに帯同した。11年にはU-25女子ジュニア世界選手権ヘッドコーチ、12年には豪州遠征のアシスタントコーチを務めた。13年5月、女子日本代表のヘッドコーチに就任し、16年リオデジャネイロパラリンピックでは2大会ぶりの出場を狙う。
<上村知佳(うえむら・ちか)>
1966年2月27日、石川県生まれ。中学では陸上部、高校ではハンドボール部に所属。18歳の時に階段からの転落事故で脊髄を損傷。リハビリで車椅子バスケットボールに出合い、日本を代表するセンタープレーヤーとして活躍。88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタ、2000年シドニー、04年アテネと5大会連続でパラリンピックに出場し、シドニーでは銅メダル獲得に貢献した。
(構成・斎藤寿子)