二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.02.26
第4回 千差万別の個性が生み出す化学反応
~4年前のリベンジ、そして東京へ―~(4/4)
伊藤: 上村さんは5大会連続でパラリンピックにも出場し、今では日本の車椅子バスケットボール女子の"レジェンド"だと思いますが、もともとバスケットの選手だったのでしょうか?
上村: いえ、私は高校時代、ハンドボールの選手でした。
二宮: 車椅子バスケットボールとの出会いは?
上村: 高校を卒業して、栄養士の専門学校に通っていた時に寮の階段から転落して、胸椎を損傷してしまったんです。それでもうハンドボールはやれないということになって、はじめは悶々とした日々を過ごしていました。車椅子バスケットボールを知ったのは、埼玉県の国立障害者リハビリテーションセンターに入った時に、ケースワーカーの先生に誘われて、体育館に見に行ったのがきっかけでした。でも、最初は嫌々だったんです。
伊藤: もうスポーツには触れたくないというお気持ちだったのでしょうか?
上村: というよりも、「車椅子でやるスポーツなんて、どうせたいしたことないでしょ」と思っていたんです。自分はハンドボールの選手として第一線でやっていましたから、そのプライドがあったんですね。
二宮: 遊びでやっているようなものだろうと?
上村: はい。でも、ケースワーカーの先生に「だまされたと思って、一度見においでよ」と言われて、仕方なしに体育館に行ったんです。そしたら、想像していたのとまったく違っていて、見てすぐに「やりたい!」と思いました。
二宮: ハンドボールもコンタクトプレーが多いですし、そういう激しさという点でも、通じる魅力があったのでは?
上村: そうだと思います。車椅子同士の接触が激しくて、それにのめり込んだんでしょうね。もしかしたら、ネットプレーの競技であれば、こうして28年もやっていなかったかもしれません(笑)。そういう意味でも、私にはピッタリの競技に出合えたなと思っています。
二宮: 上村さんのように、バスケットボールでなくとも、もともとスポーツ経験がある選手もいれば、まったくスポーツをしていなかったという選手もいます。年齢的にも全員一緒にスタートというわけにはいかないのが、障がい者スポーツの難しさでもあります。また、現在も治療や薬の服用をしながらプレーしている選手もいるでしょう。こうした条件の異なる選手をひとつのチームとして束ねるわけですから、指導者としては大変な部分もあるでしょうね。
橘: おっしゃる通り、ここに至るまでの、バスケットボールについての知識や経験は実にさまざまですし、障がいについても先天的な人もいれば後天的な人もいて、部位や程度も違います。
バックグラウンドは千差万別です。そういう点では難しさもありますが、考え方によっては、それもまた個性なのかなと。選手それぞれの特徴だと思えば、逆に武器になる部分も出てくる。生かせる部分はすべて生かし切って、さまざまな個性を組み合わせて生まれるいい化学反応をいかに引き出すことができるか。それが指導者の役割だと思っています。
【新開発タイヤが環境改善・普及拡大の糸口に】
二宮: 東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したことによって、今後はパラリンピック競技への環境も少しずつ整備されていくことでしょう。ナショナルトレーニングセンターも、だいぶパラリンピック競技の選手にも門戸が開かれるようになってきていますが、車椅子バスケットボールに関してはいかがでしょうか?
橘: 以前と比べると、だいぶ環境が良くなってきていることは実感しています。ただ、車椅子バスケットボールに関しては、いろいろと条件が難しいんです。
伊藤: 体育館の床にタイヤの痕がついたり、車椅子の転倒によってキズがついたり、ワックスがはがれるという理由から、いろいろと制約も多いと聞いています。
橘: そうなんです。でも、私達のスポンサー企業が、「マークレス」という、タイヤの痕がつきにくいような材質のタイヤを開発してくれました。このタイヤによって、車椅子の使用を許可する体育館が増えれば、車椅子バスケットボールの環境は変わると思います。ひいては普及拡大にもつながるはずです。
二宮: 超高齢社会の日本では、高齢者で車椅子に乗る方も増えることが予想されます。そういう方でも、「スポーツをしたい」「体を動かしたい」という人は少なくないと思うんです。そういう点においても、車椅子競技ができる施設が増えることは、日本の社会にとっても大きな意味を持つはずです。
橘: おっしゃる通りだと思います。
伊藤: それでは最後に、今年10月に千葉で行なわれるリオデジャネイロパラリンピックの予選への意気込みを聞かせてください。
橘: これまでは「考えるバスケ」をテーマに、とにかく「考える」ことを意識してやってきました。しかし、これからは次の段階に進み、考えた先に「ここにチャンスがある」ことを「感じる」ということをテーマにやっていきたいと思っています。選手はみんな、4年前の悔しさを忘れてはいません。必ずリオへの切符をつかみたいと思っていますので、ぜひ会場に足を運んでもらって、男女そろってリオに行けるよう、選手に声援を送ってください。
(おわり)
<橘香織(たちばな・かおり)>
1972年7月4日、兵庫県神戸市生まれ。茨城県立医療大学理学療法学科准教授。2005年から車椅子バスケットボール女子日本代表のマネージャーを務め、08年には北京パラリンピックに帯同した。11年にはU-25女子ジュニア世界選手権ヘッドコーチ、12年には豪州遠征のアシスタントコーチを務めた。13年5月、女子日本代表のヘッドコーチに就任し、16年リオデジャネイロパラリンピックでは2大会ぶりの出場を狙う。
<上村知佳(うえむら・ちか)>
1966年2月27日、石川県生まれ。中学では陸上部、高校ではハンドボール部に所属。18歳の時に階段からの転落事故で脊髄を損傷。リハビリで車椅子バスケットボールに出合い、日本を代表するセンタープレーヤーとして活躍。88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタ、2000年シドニー、04年アテネと5大会連続でパラリンピックに出場し、シドニーでは銅メダル獲得に貢献した。
(構成・斎藤寿子)