二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.03.12
第2回 大声援を身体で感じた北京パラリンピック
~若きリーダーが見据えるパラスポーツの未来~(2/4)
二宮: 木村選手は、先天性の疾患で、2歳の時に全盲になったとお聞きしました。
木村: そうです。実際、その頃の記憶をはっきりと覚えていないので、ほとんど生まれつき見えていないのようなものですね。
二宮: 途中から見えなくなった方は、見えていた時とのギャップに苦しむことがあると聞きます。後天的に失明した選手は不利だと?
木村: いえ。競技としては途中から見えなくなった人でも、もともと泳げた人はすごく泳力が高いわけですから。現在、パラリンピックや大きな大会で決勝に残ってくるような上位の選手は、中途失明の人が多い。たとえばパラリンピック6大会に出場し、21個のメダルと獲得した河合さんもそうなんです。
伊藤: 河合さんは先天性ブドウ膜欠損症で生まれつき左目の視力がなく、15歳の時に右目も失明し、全盲になりました。5歳から水泳を始められていて、中学では水泳部にも所属されていたそうですね。小学4年時で競技をスタートした木村選手は、そういう点では不利だと。
木村: そうとも言えます。ただ中途障がいの方々って、競技面ではアドバンテージなるかもしれませんが、生活面ではいろいろなご苦労があったと思います。僕は生まれてからずっと見えないのとあまり変わらないので、それほど生活していて困ったことはないんですよ。
伊藤: お話を伺っていても、非常に前向きでポジティブな印象があります。
木村: ポジティブというか、いい加減なんですよ(笑)。
二宮: 木村選手が最初に出場したパラリンピックは、高校3年時の2008年北京大会です。5種目に出場し、そのうちの3種目(100メートル自由形&100メートル平泳ぎ5位、100メートルバタフライ6位)で入賞を果たしました。4年に1度の大舞台は緊張しましたか?
木村: 当時のことは、あまり覚えていないんです。とても大きな歓声の中で、泳ぐことを初めて経験しました。もちろん緊張はしましたが、あっという間に終わってしまったな、という印象でしたね。
二宮: あまり大会を味わう余裕はなかったと。それだけ無我夢中だったわけですね。パラリンピックほどの大舞台となれば、プールサイドの熱気がすごい。そういうのは水面にも伝わってくるものでしょうか?
木村: ええ。競技をしていても、身体に響いてくるものがありましたね。日本の方の応援もよく聞こえてきて、とても励みになりましたね。
【現在地を探りながら泳ぐ】
二宮: たとえば健常者の選手は、背泳ぎで天井を目印にして自分の位置を把握することができます。しかし、視覚障がいの選手はそういうわけにはいきません。
木村: その通りです。真っすぐ泳ぐことは難しいんです。
二宮: 水泳にはコースごとを仕切るロープがあります。泳いでいる時に、あそこでぶつかると大きく減速し、タイムをロスしてしまう。そうならないようなバランス感覚も求められていきます。
木村: そうですね。もちろんコースロープに引っかからないことが一番いいんですが、泳ぐ時には自然と力が入ってしまうので、そう簡単にはいきません。ですから、できるだけリスクを減らして泳ぐことが大事だと思います。
二宮: 自らの進路をどのようにコントロールされているんですか?
木村: 僕は真っすぐ泳ぐことに重きを置くというよりは、コースロープを感じながら、コースの端を泳ぐようにはしています。
伊藤: 感じるというのは、実際に触れているのでしょうか?
木村: 触れるか触れないかのギリギリを泳ぎます。時々、触れながら、軌道修正をする。強くコースロープにぶつかってしまうと、衝撃はもちろん、大きく減速してしまうんです。できるだけコースロープ沿いに位置し、擦るようにして泳ぎます。
二宮: これ以上、外にいったら、腕に当たると分かっていないと、安全なコース取りも判断できないですもんね。たとえばバタフライでは、両腕を大きく動かして水面をかく。そのまま腕がコースロープに当たったら......。
木村: そうなった場合は、相当なダメージがありますね。隣の選手も見えていないので、互いにコースロープに寄っていき、最悪、選手同士でぶつかることもあります。こうしたアクシデントも競技上、有り得ると、頭に入れておかなければいけません。泳いでいる最中は、コーチの声も聞こえませんから、自分の勘が頼りになるわけです。
(第3回につづく)
<木村敬一(きむら・けいいち)>
1990年9月11日、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症で2歳の時に全盲となる。小学4年から水泳を始め、単身上京した筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属。中学3年時に出場した世界ユース選手権大会で金、銀、銅と3個のメダルを獲得し、2007年の日本身体障害者水泳選手権では100メートル平泳ぎで日本記録をマークして優勝。高校3年時に臨んだ08年北京パラリンピックでは5種目に出場し、うち3種目で入賞した。日本大学に進学後、4年時に迎えた12年のロンドンパラリンピックでは100メートル平泳ぎで銀メダル、100メートルバタフライで銅メダルを獲得した。昨年から水泳チームのキャプテンを務め、アジアパラ競技大会(韓国・仁川)では出場した全6種目で表彰台に上がった。
(構成・杉浦泰介)